「失言」で好感度を獲得!? 安倍政権はどこまでも「大衆的」だった

長期政権化をもたらした時代の気分
宇野 重規 プロフィール

安倍政権は「耳を傾けすぎ」だった?

社会学者の西田亮介もまた、新型コロナウィルス対策において、安倍政権が民意に「耳を傾け過ぎる」と分析する(AERA dot.、2020年8月17日)。西田によれば、初動の遅れを批判された政府は、世の中の論調を意識するあまり、効果が判然としない決定や対策を場当たり的に乱発した。支持率が低下していたことから、安倍政権は人々の反応を政治的に都合よく取り込もうとして、結果的に「耳を傾け過ぎる」ことになったというのが西田の分析である。

このような評価は理解可能であるが、「耳を傾け過ぎる」ことそれ自体は、民主主義の視点からすれば完全に非難できることではない。少なくとも、耳をまったく傾けないよりはマシであろう。その限りでは、ある意味で、コロナ対応において安倍政権は民主的であったことにもなるのである。

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もし千葉や西田の分析が正しいとすれば、このように安倍政権には、どこか「大衆的」なところがあり、「多くの市井の人々の目線」を、ときに過度に重視する傾向があったということになる。そうだとすれば、民主主義が社会における多数の声に敏感に反応するものである以上、安倍政権はある意味において、「民主的」であるということも不可能ではない。このことを私たちはどう理解すべきだろうか。

 

劣等感を刺激しない存在

安倍首相自身は、祖父に岸信介元首相、父に安倍晋太郎元外相を持つサラブレット政治家であり、同じ名門私立に小学校から大学まで通ったように、「庶民的」な人物ではない。

ただし、安倍首相はしばしば言い間違いをするなど、「秀才風」の人物でないこともたしかである。「云々(うんぬん)」を「でんでん」と読んだのはお愛想だとしても、国会で自らを繰り返し「立法権の長」と表現したのは、三権分立の基礎的な理解を疑わせるものであった。

さらに「退位礼正殿の儀」で、「天皇、皇后両陛下には末長くお健やかであらせられますことを願って已(や)みません」を「願っていません」と読んでしまったのは、意味がまったく逆になり、時代が時代なら大問題になったであろう。

しかし、このことは安倍首相の支持者の間では、大きな問題にはならなかったようだ。ある意味で、この種の失言は、安倍首相においては「想定内」なのだろう。あるいはむしろ、「秀才風」を吹かせた官僚や知識人よりは、はるかに親しみを持たせる理由になっているのかもしれない。少なくとも、安倍首相は、このような意味において、人々の劣等感を刺激する存在ではないことはたしかである。

今日の社会において、人々はつねに自分の能力を証明することを求められている。「自分はこんなことを知っている」「こんなこともできる」と言わないと、逆に誰かから自慢され、場合によっては馬鹿にされかねない。つねに自分の優位を主張し、相手を圧倒しようとする「マウンティング」が時代の言葉になっているのは、その表れであろう。人々はそのことに疲れを感じているが、やめるわけにもいかないというのが正直なところである。

その意味でいえば、安倍首相は、「秀才風」を吹かせてマウンティングしてこないというだけでも、評価すべき人間ということになる。しかも、育ちがよく、言い間違いの類の欠陥も、あるいはセレブにありがちな鷹揚さとして受け入れられる余地がある。