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「失言」で好感度を獲得!? 安倍政権はどこまでも「大衆的」だった

長期政権化をもたらした時代の気分
先月、自身の健康問題を理由に辞意を表明した安倍首相。在任中には「モリカケ問題」をはじめ、民主主義の根底を揺るがすような数々の疑惑が相次いだ安倍政権ですが、その政権運営に対して「大衆に寄った」、「民意に耳を傾けすぎる」と評する向きもあるようです。この一見矛盾するような状況はなぜ生まれたのでしょうか。政治学者の宇野重規氏(東京大学教授)と考えます。

長期政権と時代の気分

7年8ヶ月にわたり権力の座にあった安倍晋三首相が、ついにその地位を去る日がきた。長期政権をもたらした理由については、様々な点が指摘できるだろう。その右派的・ナショナリズム的言説が、東アジアの国際関係が緊張を増すなか、日本社会のある集団に強く支持されたことは間違いない。

アベノミクスによる金融緩和や財政出動が、デフレ克服にあたって一定の効果をもち、株価上昇や雇用の増加をもたらしたことも指摘できよう。あるいは選挙戦略が巧みで、小選挙区が中心の選挙制度や低投票率もあって、尽く選挙戦に勝利してきたことも無視するわけにはいかない。

とはいえ、それだけが理由かといわれると、まだ、何かが残っている気がしてならない。これだけ政権が長期化したことは、良きにつけ、悪きにつけ、2010年代の(あるいはそれ以前からの)日本社会において支配的であった何らかの精神的傾向、もしくは気分のようなものと、その間に権力の座に長くあった安倍の間に、一定の親和性があったように思えてならない

言い換えれば、安倍首相を強く支持しないまでも、少なくともそれを長期にわたって受け入れる、何らかの精神的・心理的な素地があったように感じられるのである。

 

インスタにツイッター...「大衆的」だった安倍政権

このような何かを民主主義と結びつけたならば、読者は驚かれるだろう。批判派からすれば、安倍政権は民主主義に対する脅威にほかならない。

森友学園や加計学園問題に始まり、首相主催の「桜を見る会」、はては検察官の定年延長問題に至るまで、場当たりの説明や強弁、公文書の廃棄、さらに強引な法律解釈の変更が問題になった安倍政権は、民主主義の根底を掘り崩す存在であった。

「一強」や「忖度」が時代のキーワードになったように、社会の多様性や寛容を損ない、同調化の圧力によって自由を否定したのが安倍政権の負の遺産である。そう考えると、安倍首相を民主主義と結びつけて論じることなどありえない、ということになるだろう。

しかしながら、興味深いことに、このような安倍政権を「大衆に寄った」、「民意に耳を傾けすぎる」と評する向きも存在する。

桜を見る会にてタレントとポーズを決める安倍首相(Photo by gettyimages)

例えば哲学者の千葉雅也は、人気俳優と笑顔でカメラに納まる首相のインスタグラムや、一般市民と交流するノリの良い大臣ツイートを指して、「非常に大衆的な政権であった」と指摘している(朝日新聞、2020年9月1日、朝刊)。威厳や品格から遠い「政権の文化的気質」は言論や知の世界にも反映され、「大衆向け文化」が主導的になり、「多くの市井の人々の目線」が重視されるようになったともいう。

もちろん千葉のポイントは、結果としてもたらされた物事の単純化やレッテルばりを批判することにあり、人間の複雑さや両義性を直視する「大人の議論」が安倍政権の時代に姿を消したことを嘆くものである。しかし、それがいかに問題含みであるとはいえ、安倍政権が「大衆的」であるとされ、「多くの市井の人々の目線」が重視される文化的気質と結びつけられて論じられていることが注目される。