2017年にアメリカで起きたシャーロッツビル事件。銅像撤去をめぐって右翼団体と反差別団体が衝突した。(photo by gettyimages)

政治はなぜ「怒りと敵意」で動くようになったのか?

リベラル・デモクラシーの後にくるもの
21世紀の政治においては、長らく戦後秩序を形成してきたリベラリズムが崩壊し、全く新しい「怒りの政治」が姿を現しつつある、と政治学者・吉田徹氏は分析する。なぜ、ヘイトクライムやテロリズムが拡大し、人々は強い指導者を求めるのか? リベラリズムが失われつつある現代の政治状況を精緻に描き出した新刊『アフター・リベラル』から、新しい政治の見取図を紹介する。

21世紀の新しい政治

私たちが慣れ親しんできた政治はもはや崩壊し、それに代わって新たな力学が動き始めている。

それはどのような力学なのか。

英『エコノミスト』誌の言葉を借りれば、世界はいまグローバル化、移民、社会的な自由主義などに対する憎しみが向けられる「怒りの政治」によって突き動かされている(The Economist, July 2nd 2016)。

 

近代という時代は、人びとが啓蒙され、自由となり、理知的かつ合理的になり、民族やナショナリズム、宗教や人種といった共同体から解放されることを約束するはずのものだった。

社会の多様性と個人化をもたらすグローバルな政治と社会は、それが果たされる限りで歓迎されるはずだったのだ。

それが21世紀に入り、むしろ怒りや敵意が政治の世界で繰り広げられるようになったのはなぜなのか。その結果、どのような新しい政治的な見取図が作られようとしているのか。

21世紀は「テロの世紀」ともいわれる(photo by gettyimages)

「政治」といっても、そこにはさまざまなものが含まれ、形式も一様ではない。しかし、質的にも、形式的にも、政治の内実=コンテンツは大きく変化している。

政治の定義は多種多様だが、ここでは「国や地域など共同体の構成員に関わる特定の争点をめぐって、社会での合意を得るために争われる権力の行使および能動的な働きかけ」としておこう。

そして気づくのは、この「共同体」、「権力」、「争点」の範囲や機能、あり方が過去と大きく違っているということだ。

流動化する国民国家の境界線

まず、「共同体」の範囲をみてみよう。

戦後と呼ばれた時代、あるいは遡って20世紀に入ってからと考えてみても、国民や地域、さらに階級や家族など、共同体と呼ばれるものを囲む境界線はほぼ安定していた。

国家と国民はほぼ同一範囲に納まり、地域間の移動は抑制的で、家庭も異性間の婚姻に基づいて形成されていた。

しかし、20世紀後半以降、モノとカネに始まる経済的なグローバル化は、ヒトの移動という社会的なグローバル化をもたらし、あわさって国民国家の境界線は流動的になっていった

人口動態の変化は、地域の存在をも揺るがし、国家内に新たに流入してくる者と、ここから出ていく者たちの数を増やしていった。

従来からの地域や家族に拘束されない存在は、居住地や家庭のあり方を多様化させていく。

民主主義が「民衆(デモス)」の「支配(クラシー)」を意味するのだとすれば、その民衆の変化に応じて、「支配」の形態も変わっていく。