菅義偉新総理は「令和の竹下登」だと言い切れる4つの理由

再び「縮小期」の呼び水となる運命か
近藤 大介 プロフィール

4)叩き上げ人生と「政界のドン」の存在

竹下登元首相は、日本海側の島根県の出身で、早稲田大学を出た後、地元で代用教員を務めて県会議員になり、そこから国会議員になった。同様に菅氏も、日本海側の秋田県の出身で、法政大学を出た後、横浜で市会議員になり、そこから国会議員になった。どちらも二世議員ではなく、地方議員からの叩き上げである。

菅氏は、9月2日の総裁出馬会見でも、9月8日の総裁選候補者演説でも、自らの「叩き上げ人生」について披瀝した。

〔PHOTO〕Gettyimages

「雪深い秋田の農家の長男に生まれ、地元で高校まで卒業をいたしました。卒業後すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じ、就職のために東京に出てまいりました。町工場で働き始めましたが、すぐに厳しい現実に直面をし、紆余曲折を得て、2年遅れて法政大学に進みました。

いったんは民間企業に就職しましたが、世の中が見え始めたころ、もしかしたらこの国を動かしているのが政治ではないか、そうした思いに至り、縁があって横浜選出の国会議員、小此木彦三郎先生の事務所に秘書としてたどり着きました。26歳のころです。

秘書を11年務めたところ、偶然、横浜市会議員選挙に挑戦する機会に恵まれ、38歳で市会議員に当選しました。そして地方政治に携わる中で、国民の生活をさらに良くしていくためには地方分権を進めなければならない、そういう思いの中で国政を目指し、47歳で当選させていただきました。地縁も血縁もないところから、まさにゼロからのスタートでありました……」

そんな叩き上げの竹下氏と菅氏を、ともに「政界のドン」と呼ばれる存在が、総理総裁に押し上げた。

竹下氏の場合は、金丸信元副総理(副総裁)である。私は金丸信氏の次男で、長年にわたって秘書を務めた金丸信吾氏に、先日インタビューしたが、こんな話を聞いた。

「父の政治家としての目標は、竹下政権を作ることだった。1986年の総選挙で、父が自民党幹事長として、304議席という空前の議席獲得に貢献した時、中曽根首相から幹事長続投を要請された。だが父は、『自分は竹下政権を作りたいので竹下を幹事長にしてくれ』と言って辞任した。その時に中曽根首相が『それなら二人で次の政権を作ろう』と言って、副総理に抜擢されたのだ」

このように、「金丸あっての竹下」だった。

同様に今回、菅義偉新総裁を誕生させた最大の立役者が、「政界のドン」こと二階俊博幹事長(81歳)だった。安倍首相が辞任会見を行った8月28日夕刻から電光石火のように動き、「菅後継」の流れを決定づけてしまったのは周知の通りだ。

二階氏は自民党第52代幹事長で、ちょうど第26代の金丸幹事長の2倍の代にあたる。二階幹事長は9月8日、「政治の師匠」である田中角栄幹事長(第11代、13代)を抜き、在任期間が歴代最長となった。

こうした経緯から、今後とも「二階幹事長あっての菅政権」であり続けることが見込まれる。

 

以上、これから出帆する菅新政権は、まさに「令和の竹下政権」と呼ぶべき政権なのである。