菅義偉新総理は「令和の竹下登」だと言い切れる4つの理由

再び「縮小期」の呼び水となる運命か
近藤 大介 プロフィール

2)長期政権後の「目標なき政権」

昭和最後の長期政権となった中曽根政権は、「戦後政治の総決算」を掲げて、5年間にわたって内外の諸課題への対応に邁進した。

内政では、不可能と言われた30万人の巨大組織・国鉄(日本国有鉄道)を6つのJRに分割・民営化したのを始め、電電公社と日本専売公社も、それぞれNTTとJTに民営化した。経済では、昭和60年(1985年)のプラザ合意で円高誘導になったものの、先述のように「昭和元禄」と言われたバブル経済を演出した。

また外交分野でも、「ロン・ヤス関係」と呼ばれたドナルド・レーガン政権との確固たる蜜月関係を築いた。そしてイギリスのマーガレット・サッチャー政権も入れた「鉄の三角関係」のもと、西側資本主義陣営の「サブリーダー」として、冷戦を最終勝利へと導いていった。中国の胡耀邦政権、韓国の全斗煥(チョン・ドゥファン)政権とも確固たる関係を築き、ASEAN(東南アジア諸国連合)の発展にも努めた。

中曽根政権を振り返ると、昭和後期という高度経済成長に沸いた「膨張の時代」を象徴する「最後の花火」のような時代だった。「今日は昨日より輝かしく、明日は今日よりもさらに輝かしい」という右肩上がりの時代の頂点である。

そのような中曽根長期政権が終了した時、「安竹宮」(あんちくみや=安倍晋太郎・竹下登・宮澤喜一)という「ニューリーダー3人組」が後継を争ったが、勝者となったのは竹下氏だった。

〔PHOTO〕Gettyimages

竹下氏は島根県の県会議員から国政に這い上がってきて、田中角栄氏の下で実力をつけた。その後、盟友の金丸信氏とともに創生会を立ち上げて田中派を強引に継承してしまった叩き上げの政治家だ。

竹下氏は、「中曽根政治の継承」を約束して、「中曽根裁定」によって総理・総裁の座を禅譲された。だが結果的に、中曽根政治の継承とはならなかった。

それは、時代が膨張期から縮小期への転換点にあったということに加えて、長期政権後の「目標なき政権」だったからである。

戦後、長期政権を築いた6つの政権を振り返ると、それぞれの目標が明確だった。日本の独立を目指した吉田茂政権、所得倍増を目指した池田勇人政権、沖縄返還を目指した佐藤栄作政権、戦後政治の総決算として行財政改革を目指した中曽根康弘政権、郵政民営化を目指した小泉純一郎政権、アベノミクスによる東日本大震災からの経済復興と憲法改正を目指した安倍晋三政権である。

ところが短命政権は、明確な目標が定まっていない。中曽根氏の後を継いだ竹下登政権が、まさにこれに当てはまった。

私は竹下氏の回顧録や評伝、政策集などを10冊くらい読んだが、「10年経ったら竹下さん」と自分で替え歌を歌っていたほどで、「総理の椅子に就くこと」は人生の目標だったが、その後の目標を明確には定めていなかった。

以前、中央官庁のトップである事務次官にまで上り詰めたある大物官僚から、こんな話を聞いたことがある。

「総理の椅子を目指す政治家には、2通りある。一つは、自分の実現したい政策や長年の持論などを実行に移すために首相を目指すタイプ。もう一つは、首相になること自体が目標のタイプだ。

前者のタイプは、目標がはっきりしているから、霞が関(中央官庁)も一体となって動き、長期政権になりやすい。一方、後者のタイプの場合は、いったん総理の座に就いた後の目標は、一日でも長くその椅子に座り続けることになる。そのため基本的に守りに入るから、様々な問題が後回しにされ、山積していく。そのあげく、カネの問題などスキャンダルが噴出して、短命に終わるのだ」

 

竹下首相の発言は、言語明瞭・意味不明瞭と言われ、何が言いたいのか、何がしたいのかよく分からなかった。まさに、「アベノミクス長期政権」の後を引き継ぐ菅義偉新総裁に通じるものがある。