「あやしい臨床試験」と「後出しじゃんけん」で作られる薬の効果

医学はこうして統計学をハッキングした
大脇 幸志郎 プロフィール

さくらんぼを摘んだオプジーボ

データの後出しジャンケンは、ひとつの研究の内部だけでなく、複数の研究のうちうまくいった研究だけを宣伝するというやりかたでも可能だ。これはチェリー・ピッキング(さくらんぼ摘み)とも呼ばれる。

ノーベル賞で話題になった、オプジーボ®(一般名ニボルマブ)という薬を例に取ってみよう。

オプジーボはさまざまながんの治療に使われ、以前の薬にはない作用を持つということで注目された。2019年にも、オプジーボとヤーボイ®(一般名イピリムマブ)を組み合わせて進行非小細胞肺癌を治療するという試験の結果が、『New England Journal of Medicine』(以下『NEJM』)という、世界で一番権威のある臨床医学誌に載った(ヤーボイとは何か、非小細胞肺癌とは何かが気になるかもしれないが、以下を読むためには「薬である」「病気である」とさえわかっていれば十分だ)

効果は上々だったようだ。ところが、同じ試験の結果が、1年あまり前の同じ『NEJM』に載っている。2018年の報告よりも長期の結果を改めて報告したということになっているが、当然ながら、大局は変わっていない(まれな副作用が新たに出てこなかったという意味ではよかった)

2回も論文にするくらいだからよほど重要な試験だったのだろうか。

臨床試験はあらかじめデータベースに登録し、その概要を公開することになっている。オプジーボとヤーボイの試験もClinicalTrials.gov というデータベースに登録されている。このデータベースで、「niviolumab(ニボルマブ)」「ipilimumab(イピリムマブ)」「NSCLC(非小細胞肺癌)」をキーワードに検索すると、49件の試験がヒットした(執筆時点)

いくつか拾い出してみよう。

ニボルマブかイピリムマブのどちらかを、クリゾチニブかエルロチニブのどちらかと併用する試験
ニボルマブとイピリムマブの2剤併用を、ニボルマブ・カルボプラチン・ペメトレキセド3剤併用と比較する試験
新薬候補INCAGN01949とともにニボルマブまたはイピリムマブまたはその両方を使う試験

このとおり、少しずつ条件を変えた試験が無数にある。ではこの無数の試験からは無数の論文が書かれているだろうか。試験の登録番号を論文データベースで検索してみたところ、上の3件のうち、最初のひとつだけが1件ヒットした。対して、『NEJM』に載った試験の登録番号は5件ヒットした。

ニボルマブの試験は、いい結果を出したものばかり盛んに論文にされ、多くの人の目に入るようにされているが、その陰には黙殺された無数の試験がある。

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臨床試験の「論文」?

補足しておこう。ごく素朴な意味において、薬の臨床試験の結果を「論文」にすることに学術的意義はほとんどない。

第一に、すべての臨床試験はデータベースに登録することになっていて、データベースの中に結果も登録できる。実際にはデータベースの中で結果を見られた記憶がないのだが、これは試験をした人がちゃんと情報公開していないだけだ。

一元化されたデータベースに重要な試験のほとんどが登録されていて、決まったフォーマットで結果も参照し比較できるなら、データを使いたい多くの臨床医や研究者にとって便利だろうし、後出しジャンケンも簡単に見抜けるはずだ。

実際は「論文」にしてもらえた少数の試験結果を見るのにも、形式が統一されていないのでいちいち文章を読んで知りたい数字を探さないといけない。重要な項目が登録されているのに「論文」には載っていないこともある。紛らわしい表現が使われることも間々ある。 この面では臨床試験の「論文」は結果をわかりづらくする方向にしか働いていない。

第二に、薬の承認の可否や効能・効果の変更を左右する試験の結果は、添付文書という薬の説明書に載ることになっている。日本で言うとインタビューフォームとか審査報告書というさらに詳しい資料もある。

実際の添付文書、インタビューフォーム、審査報告書を読んでみれば、どこにも論文として出されていない「社内資料」がたくさん参照されている。これは論文をいくら読んでも「なぜこの薬がこのような使いかたで効くと言えるのか」はわからないということだ。

当然ながら、論文になった試験であっても、重要なら添付文書に載る。

この種の「論文」は添付文書より先に出ることもあるが、添付文書のほうが規制当局による厳しいチェックを受けているし、添付文書がない時期、つまり薬が承認されていない時期に情報だけがあっても、薬は使えない。

もちろん添付文書にも弱点はある。特に厳格な臨床試験がいまほど重視されていなかった時代の添付文書は頼りない。しかし大局として、日々新たに登場し、華々しい統計とともに紹介される新薬をよく知るには、論文より添付文書を読むほうがはるかに早くて情報量もある。