テレビはいつから「オワコン」になったのか。『こち亀』に見る昭和〜平成のテレビ史

稲田 豊史 プロフィール

同編では、MHKのテレビクルーが下町江戸っ子警官として両津を取材に来る。乗り気の両津だが、クルーは江戸っ子らしさを強調したいがため、両津に「ハッピを着て神輿をかつぎながら出勤」「派出所に着いたらハシゴに乗ってポーズ」「羽織を着て江戸弁で道案内」等、過剰演出を強要する。今で言う「やらせ演出」だ。「海外向けのビデオでもとってるのか? あいつら」と訝しむ両津に対して、中川が「いかにもMHK的ですね」と一言。

その後も無茶な演技指導を経て、撮影は終了。そして待望の放送日、両津は番組を録画しようと、奮発して30万円もする高級ビデオデッキを購入する。なお、84年当時のビデオデッキ普及率はたったの18.7%(日本映像ソフト協会調べ)。両津の気合が垣間見える。当時のテレビが、あらゆる意味で大衆にとっての「夢」だったことは、以下の両津のセリフで明白だ。

両津「天下のMHKの全国ネットで一時間わしが出演するんだぞ! こんな事は一生に一度あるかないかだ。だからその番組をとって孫の代まで自慢するわけよ

1980年代、小中学生のヒーローである両津をセンターステージで輝かせるには、最強無敵メディアたるテレビに出演させる、あるいは絡ませるのがもっとも近道だった。「テレビに出ること」がそれだけでステータスになりえた、過ぎ去りし時代だ。

 

「ギョーカイ」という選民性の誕生

テレビ業界を中心とした芸能界を「ギョーカイ」と呼び、ギョーカイの裏側を大衆にチラ見せすることで、華やかな舞台のえげつない裏側事情、テレビマンの変人ぶりや常識はずれぶりに呆れ、笑い、かつ逆説的に「ギョーカイ」に選民的なステータスが付与される流れが、80年代にはあった。広告業界を舞台にした漫画『気まぐれコンセプト』(ホイチョイ・プロダクションズ・作、1981年より「ビッグコミックスピリッツ」で連載開始)、番組スタッフを積極的に顔出しさせた『オレたちひょうきん族』(1981〜89年、フジテレビ系)は、それを象徴するコンテンツだ。

85年20号「スターへの道!?の巻」(44巻)では、派出所裏の亀有公園でレポーターの噺家・福々家新平による生中継のロケが行われるが、カメラが回っている時の新平の善人道化ぶりと、回っていない時の毒舌の激しさがギャップとして描かれる。カメラが止まった瞬間、ついさっきまで愛想よくしていた住民に悪態をつく新平を見た両津は、「ビジネスに徹した噺家だな、あいつは……」と呆れながらも、「テレビとは、所詮そういうもの」として受け入れているようにも見える。

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