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『人民日報』の定点観測で見えてくる「安倍政権最大のレガシー」

最悪の日中関係はどうして改善したのか

「笑顔無し」からの積み重ね

安倍晋三政権と習近平体制は2012年終盤のほぼ同じ時期に発足した。安倍首相と習近平国家主席は2014年11月に北京で初めて首脳会談を行い、以来、対面では計11回の会談を重ねてきた。中国のような独裁国家では、軍や地方政府といった利権集団も国民も、日本に厳しく出ることで点を稼ぐ人たちも、上の顔色を見て動きを決める。首脳会談の積み重ねが持つ意味は大きい。

安倍政権の最大のレガシーと言っていい日中関係の改善は、なぜ実現したのか。一言で表すならバランスだろう。安倍は国内政治では右派の上に立ち、左派にウィングを広げたことで権力を取りまとめた。日本社会では対中姿勢において、親中国は左派で、右派は台湾に信頼を寄せる。安倍も下野していたときに訪台したが、政権に就くと「悪夢のような民主党政権」と言い訳しながら、民主党ができなかった中国への接近を果たしていった。今は親族を通じて台湾との関係も大切にしている。

外交安保に目を向けると、中国からまともに脅威を受けないよう、米国との同盟関係以外にも、豪州、インドとの関係を強化しカウンターバランスを図った。安倍が就任時に英語で発信した「アジアの民主的安全保障ダイヤモンド」構想は、そのまま米国の戦略の一つになっている。その上で安倍は中国と対話の可能性も探った。

2011年に米国が「アジア回帰」への「再均衡(リバランス)」で中国に安全保障面で厳しく出始めてからも、オバマ政権の間は、習近平は米国に取り入ろうと接近し、世界を米中共同で主導し管理しようと持ち掛けた。安倍は中国と、米国への接近競争を繰り広げながら、両国にハシゴを外されまいと隙間を見極めて中国に近づいた。

いまや世界のゲームを決めるのは米中だ。だが、両大国では政治体制も価値観も異なる。日中関係は米中関係によって動ける枠が決まっくる。日本はテコだ。米国からは中国に対する盾や手先のように、中国からは米国に対する橋渡し役や突破口として使われる。

米中の国力が大きいことや、日本が米国の同盟国でありながら中国と地理的、経済的に関係が密接で相手の流儀も分かるから、おのずとそうなる。米中関係が悪い時には逆に利用しようとして日本に対し接近競争を図ることもある。

大阪G20で並んだ3人のリーダー(2019年6月28日)

政権発足から首脳会談実現まで

外交には国民の理解や世論が重要だ。だが国家同士の関係は「友人」ではない。好き嫌いにかかわらず国益を見極め近づくべき時がある。

そして安倍政権は、簡単には理解し合えない中国との関係を、確実に改善させた。日本が中国に接近する最大の理由は、経済と安全保障だ。経済をみると、世界の自動車産業は中国で収益を上げている。日本が撤退すればドイツと韓国の企業に市場が行く。安全保障では中国との正面衝突を避けなければならない。中国も国益を見極め日本に近づくのだが、様々な理由で反対し、習近平の足を引っ張る人たちがいる。

習近平政権が日本に近づくとき、必ず行う奇妙なことがある。まず言論統制を敷き、日本をめぐる議論が起こるのを抑える。そうやって反主流派や利権集団の動きを弾圧、統制するのだ。

日本だったら野党やメディアというチャンネルを通じて不満を訴えるはずの、習近平のライバル、薄熙来や周永康、徐才厚といった重慶市や公安とエネルギー部門、軍部の有力者たちを、まず「反腐敗(汚職摘発)」を理由に抑え込み、政治の主導権を握る。民主化はハードルが高く困難だ。だからこうなるのだ。

これだけではない。「日本への接近」に先立って習近平は逆コースを行った。まず反日的な行動に出て日本に不満を持つ勢力のガス抜きをする。「反日・抗日」の意見に配慮しバランスを取ったものと見られる。彼らには他に不満を表明させるチャンネルがないからだ。その後で日本に接近する。

実は、汚職で捕えた政敵・薄熙来(重慶市トップ)の裁判が始まった2013年8月以降、首脳会談を探る動きが始まった。だが頓挫した。これには日中双方に原因がある。

2013年秋、国家安全委員会設置が決定され、周辺国と関係強化する一方、尖閣諸島上空に中国政府の防空識別圏が設定された。当然、日本は猛反発した。年末には安倍首相が靖国神社参拝を行った。自制する理由がなくなったからだ。

なぜ中国は関係強化のアクセルと防空識別圏というブレーキの両方を同時に踏んだのか。中国のキーワードは「共産党体制の安定第一」だ。外交で外に向かって手を伸ばすとき、国内で誰かがテロを図ってはいないか、そこを西側に付け込まれないかと常に恐れている。「主権の確保、内外の安全、領土などの国益」が「外交」とセットで考えられている。被害妄想に近い。

だが一年目の2013年には、北京の天安門前と山西省党本部前で反政府テロが続いた。習近平は主導権を握る過程で多くの政敵をつぶしてきたため、彼らには不満がたまっている。この引き締めの過程で国家安全委員会が設置され、長年の宿敵、日本に対しても牽制を強めた。

だが、その後再び、東京で程永華大使(当時)と福田康夫元総理が会合を重ねていった。

 

メディアとは、日本ではステレオタイプも含めて、多様な国民の呼吸を確認し対話をしながら、事実を伝えるものだが、中国では独裁政党の共産党が正当だと主張する切り口に基づいて彼らの信じる情報を内外に発信するものだ。

中国共産党機関紙『人民日報』の報じる「中日首脳会談」の記事を追えば、中国政府の認識の変化が分かる。以下、日中首脳会談の変化を、『人民日報』の報道を定点観測で見ていきたい。