ネオリベラリズムはなぜブルシット・ジョブを生み出してしまうのか

効率化は必ず非効率に帰結する
酒井 隆史 プロフィール

ネオリベラリズムは資本主義的でないものを根絶する傾向をもつ

ネオリベラリズムはいつも、そうした反応があった場合、つねに攻撃的態度をとってきた。

「守旧派」とか「抵抗勢力」といったレッテルが、「敵」に対してふりまわされるのは、日本だけではない。

たとえば、ネオリベラリズムの理念が最初に実地で展開されたのは南米のチリであるが、そのきっかけはクーデターであった。選挙を通して社会主義政権が成立した直後、アメリカ合衆国のバックアップによって、クーデターでその生まれたばかりの政権は転覆される。その後、軍人アウグスト・ピノチェトを指導者とする新政権は、独裁政治をおこない、そのもとでチリは、米国のエリートと米国で教育を受けた現地エリートのネオリベラルたちによって、政策実現のいわば実験場と化してきた。

ネオリベラリズムの総帥フリードリヒ・ハイエクは、その独裁政権を擁護し、その体制のもたらす「個人的自由」を称揚しつづけた。おびただしい人間が誘拐され、拷問され、虐殺されていたにもかかわらずである。

ここで確認しなければならないのは、ネオリベラリズムとは経済学的教義であり、あるべき市場や経済のあり方を指し示す理念であるのではなく、この世界総体の再構築をもくろむ政治的プロジェクトであるということである。

そしてそれは、「社会」の領域に根ざす人間的領域からの反発、すなわち資本主義的原則に順応しない慣行、規則、制度、あるいはそれとは異なる理念に由来する行動などなどを、すべて根絶する傾向をもつ。

いまネオリベラリズムは、独裁を口にしてはばからないブラジル大統領ジャイール・ボルソナロをそのひとつの代表的な顔としてもっているが、そのような「権威主義的」で「反民主主義的」要素は、もともとその教義に内在する傾向なのである。

 

グレーバーの有名な言葉に「資本主義を世界でただひとつの可能なる経済システムであるようにひとにおもわせる選択と、資本主義を実際にもっと生命力のある経済システムにしようとする選択肢があるようなとき、ネオリベラリズムはつねに前者を選ぼうとしてきた」というものがあるが、これはこのようなネオリベラリズムの性格をよく表現している。

ネオリベラリズムは、たとえみずからの守護する資本主義を多少なりとも犠牲にしても、みずからへの抵抗をつぶすほうを選ぶのである。

サッチャーの言葉である「TINA(There Is No Alternative)」、つまり「オルタナティヴは存在しない」(この道しかない)は、ネオリベラリズムのイデオロギーとしてよく引き合いにだされるが、それはたんにネオリベラリズムを強硬に押しつけるさいのレトリックにとどまるものではない。

資本主義に支配されたもの以外の世界の可能性を匂わせるようなすべてのものを抹殺することは、ネオリベラリズムに内在する衝動なのである。

ネオリベラリズムと官僚制との相性のよさは、そこにも理由のひとつがある。官僚制とは、なによりもまず人間の想像力への攻撃だからである。

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