ネオリベラリズムはなぜブルシット・ジョブを生み出してしまうのか

効率化は必ず非効率に帰結する
酒井 隆史 プロフィール

たとえば、国鉄の「民営化」には、国鉄労働者の怠慢やその作業の非効率、サービスの悪さなどが、マスコミを通してピックアップされ、さかんに喧伝されるという前哨戦があった。それは「問題」の「製造」→「解決策」としての「市場原理の導入」→帰結としての「民営化」といった、お決まりのプロセスが実地に展開された走りであった。

戦時中を舞台にした日本の映画ではかつて、「かしこくもー」と一声だれかが発したならば、空気は一変し、いあわせた人間の表情はこわばり、みなぴしっと背筋を伸ばすというシーンがよくあったが、あれほどではないにしても、似たようなものである。

国鉄の「民営化」以降、「民間でわー」と一声があがれば、みなぴしっと萎縮するといった反射構造がこの社会を覆ってきた。それは「神の声」なのである。

ところが、どうであろうか。そうやって「ムダ」の削減に削減を重ねてきたいま、本当に世の中、「効率よく」ものごとが回るようになっただろうか? お役所仕事は減っただろうか? 要するに、官僚制やそれにまつわるものごとは縮小をみせただろうか? そもそも、「民間企業」なるものが、それほど「効率的」に動いているのだろうか?

 

大学人が直面する現実の喜劇的不条理

英語で公刊されたばかりの『ブルシット・ジョブ』を読んでいて、はじめて目に飛び込んできたとき訳者が感動にうちふるえた図がある。本来、数量化によって「効率化」しえない領域が「効率化」の名のもとに数量化されるとき、どのように「ブルシット化」が帰結するかを説明しようとして、筆者のデヴィッド・グレーバーが掲げた図である。

『ブルシット・ジョブ』339頁より

これはわたしたち大学につとめる人間にはなじみぶかい「シラバス」なるものの作成の手順をあらわした図である。わかりやすいように「講義概要」ともしているが、実のところたんなる「講義概要」ではない(今回はそれ以上掘り下げられないが、この「シラバス」をめぐる「官僚制のユートピア」を書けば新書分ぐらいになるはずだ。読者の涙を誘う不条理物語が展開されることだろう)。

下図はとかく「非効率」を槍玉にあげられがちな伝統的大学である。上図は先端的経営をうたう「いけてる」大学である(読者の多数のなかには、すぐさまいくつかおもい浮かぶだろう……)。

シラバス作成にかんして、「非効率」なはずの伝統的大学では、大学職員から大学教員への通知ひとつでことはすんでいる。実に「スリム」なのである。ところが先端的経営による効率性をうたう大学では、管理チェックのプロセスなどがあいだにはさまって、複雑怪奇なものになっている。これが先端的経営理念による「効率化」の実態である。

グレーバーはこれを、いかにも現代的な学術風にしれっとみせているわけだが、これが、かれ一流のユーモアであることはまちがいないだろう。しかし、この図ほど、いまわたしたちの直面している現実の喜劇的不条理を表現しているものもない。おそらく、この図をみて、ひそかに快哉をあげる大学人も決して少数派ではないはずだ。

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