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「植松聖は何者か、相模原事件とは何だったのか」精神科医はこう分析する

相模原障害者殺傷事件が僕たちに突きつけたもの【第11回】
映画監督・作家の森達也氏が3月19日、死刑判決直後の植松聖と面会した。2016年、入所中の知的障害者19人が殺害されたあの事件の深層とは何か? 

第1回はこちら:相模原障害者殺傷事件とは何だったのか?「普通の人」植松聖との会話

「とてももったいない」

「判決直前に植松に面会したとき、これはほぼ全ての人が口にすることだけど、とても礼儀正しくて謙虚な印象を最初は持ちました。受け答えも普通です。でも噛み切った指の傷口を僕に見せようとしたとき、明らかに何かが逸脱した雰囲気があった。あるいは冷静な口調のまま、日本はもうすぐ終わりますと断言する。

彼の意識状態はともかくとしても、命を選別して殺害するという罪を犯した彼に対して、この命は要らないと選別して死刑を宣告する。しかも裁判は重要な議論がほとんどなされないまま、これも最近の大きな事件の傾向だけど、一審だけで確定してしまった。法廷が死刑を正当化するためのセレモニーと化しています。……ざっくりと僕の思いを話したけれど、相模原事件やこの裁判について、松本さんはどう考えますか」
僕のこの問いかけに対して松本俊彦は、「森さんと同じ意見です」と即答した。とてもあっさりと。まるで今日のランチは何を食べますかと訊かれたかのように。でもそう答えてから、松本はしばらく考え込んだ。

「……それが大きな事件であればあるほど、犯人はどのような精神状態にあったのか、それがどのように変容して事件につながったのか、そのメカニズムの解明や分析についての知見がまったく集積されていないと思います。だから教訓にできない。同じことがまた起きるかもしれない。特に相模原事件の法廷は、責任能力の一点だけに論点が集約されてしまった。「後医は名医」という格言があります。後から診た医者ほど正しい診断を下せる、という医学領域全般に当てはまる経験知ですが、そのことが最も当てはまるのは精神医学なんです。すぐに死刑にして口を封じてしまうのではなく、時間経過の中で加害者の精神状態や語りがどう変化するのかを観察し、そこからわかってくる真相を社会全体でシェアする。これはとても意義のあることです」

「でもそうした裁判になっていない」

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「精神科医の立場からは、とてももったいないなと思います。ただ一方で、僕自身も相当数の精神鑑定に集中的に取り組んだ時期があるので分かるのですが、鑑定を依頼された医者からすると、大きなプレッシャーになることは確かです。特にこういう大きな事件の場合、検察にも裁判所にも、それから鑑定する医師にも、最初から結論には一定のバイアスがかかってしまっている気がします。というのは、小さな事件の場合は、精神鑑定の結果として心神喪失や耗弱になることがけっこうあるんです」

「でも大きな事件ではそうならない」

「なかなか喪失や耗弱を認めない流れは確かです。明らかに世論というか感情論で法廷の場が進んでしまっている」

「刑法39条は、心神喪失者の行為を罰しないことと、耗弱の場合には減刑することを規定しています。だからこそ大きな事件、人々が注目する事件になればなるほど、極刑以外に逃がしてはならないとのバイアスが働いて精神鑑定を結論ありきで行うから、多くのことが解明されない状況が続いている」

「そう思います」