祇園祭は「多様性」があったからこそ続いた

祇園祭は1151年前、神輿を神泉苑へ送った祇園御霊会が起源とされています。今は、神様を街にお迎えする神幸祭(前祭)と、その1週間後に神社にお戻りになる還幸祭(後祭)、この神輿渡御が祭の中心となる神事です。しかしいつの頃からか、町衆も神様を迎えるために山鉾を出すようになりました。山鉾が神輿の渡御に先立ち、街を祓い清めて神様を迎えるために巡行するのです。

山鉾巡行の主体となる地域を山鉾町と呼びます。山鉾巡行も長い歴史のなかで、応仁の乱や第二次世界大戦によって中断されたり、江戸時代の大火で山鉾が焼失したりしたこともありました。そのたびに町衆が復興に努め、時代に合わせた変化を伴いながらも、500年以上に渡って続けられてきたのです。幕末の騒乱で鉾本体を焼失して以来、長らく山鉾巡行に参加していなかった大船鉾も、保存会がたちあがって平成26年に復活しました。

それぞれの町が独自に伝統や格式を保持し、共同体を維持しようとし、また町同士はある意味ライバルとして切磋琢磨する。その総体が祇園祭の山鉾行事なのだと捉えています。つまり、多様性があったからこそ続いた。持続可能のためには、多様性が必要なんだというモデルにもなると感じました。

また、祭の関係者はみんな祇園祭に仕事として携わっているわけではありません。ですが、7月の1か月間は、ほぼかかりっきりで神事や祭事にあたります。長い歴史の重みと、京都や日本、世界の安寧を願う心、これを肌身で感じることができる7月の京都は、暑さ以上の熱さがあふれています。