1964年 東京オリンピック開会式の様子[Photo by gettyimages]

五輪選手たちを「戦地」へ送るしかなかった…ある名コーチの知られざる「真実」

彼が抱いていた「平和への思い」とは?

命を奪われたアスリートたち

戦後75年にあたる2020年は、本来東京でオリンピック・パラリンピックが開催され、今頃はまだ熱戦のあとの余韻に浸っていたことだろう。

新型コロナウイルスのパンデミックの影響で延期となり、いまや来年の開催の可否も取りざたされているが、実は東京五輪が予定どおりに行われないのは二度目である。今から80年前、1940年(昭和15年)にアジアで初めて開かれるはずだったオリンピックは、開催地である東京が「返上」する形で中止となった。その理由は、「戦争」である。

前回大会のベルリン五輪でメダル18個と、大きな成果を上げた日本代表にとって、この1940年東京大会はさらなる飛躍を目指す大会だった。晴れの舞台を奪われた選手たちの心中はいかばかりだったか。

いや、奪われたのはオリンピックだけではなかった。東京大会で活躍を期待された選手で、過去オリンピックに出場したことのあるアスリートのうち37人が、ガダルカナル、インパール、硫黄島や沖縄などの激戦地に送られ、命を落としている(『幻のオリンピック 戦争とアスリートの知られざる闘い』・小学館)。

「水泳大国・日本」を築いた男

オリンピックを奪われたのは選手たちだけではない。指導者たちもまた、戦争の被害者である。

14人もの教え子を戦争で失った松澤一鶴(まつざわいっかく)という人物がいる。

松澤一鶴は、スポーツが「総力戦」に組み込まれ、兵士を養成する「国防競技」となっていくことに静かな抵抗を続けた(写真:『幻のオリンピック 戦争とアスリートの知られざる戦い』より)
 

NHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』で、皆川猿時が演じたこの人物は、1932年のロサンゼルスオリンピック、1936年のベルリンオリンピックと、水泳日本代表チームの監督をつとめ、ロサンゼルスでは男子競泳の六種目中五種目で金メダル。ベルリンでも四種目で金メダルを獲得するなど、日本水泳の黄金時代を築き上げた「名伯楽」であった。