「育ちがいい」とトクして「育ちが悪い」と損をする、この社会の現実

あるベストセラーから考える
熊代 亨 プロフィール

礼儀作法は「世襲資産」である

世襲資産としての性格を帯びてからの礼儀作法は、だから「育ち」と切っても切れない関係にあったといえるし、これは、「育ち」に根ざした不平等な競争だともいえる。「育ち」に恵まれた人なら苦も無く身に付けられる礼儀作法を、「育ち」に恵まれていない人は一生懸命に身に付けなければならない。ましてやそれが、複雑化した能力主義のもとで評価の対象となり、入試や就活や婚活を左右するなら尚更である。

『「育ちがいい人」だけが知っていること』は、それを買い求める一人ひとりにとって、現代社会をサバイブするための参考書たりえる。そのかわり、本書がベストセラーとなり、所作や振る舞いをみんながますます意識するようになることで、この礼儀作法競争はますますエスカレートしていくのだろう。そして礼儀作法は「育ちのいい人」に絶えずアドバンテージを与え、そうでない人に後追い的な努力を強いるから、人々は「育ち」をますます意識せずにいられなくなり、劣等感やコンプレックスの焦点になりやすくもなる。

 

こうしたことが起こっているのは、礼儀作法に限ったことではあるまい。たとえば清潔や健康なども複雑化した能力主義にもとづいて評価の対象、選抜の指標たり得るようになれば、清潔な家庭や健康的な家庭で育った人はアドバンテージを得、不清潔な家庭や不健康な家庭で育った人はビハインドを負うことになる。それらがもたらすアドバンテージやビハインド自体は小さなものかもしれないが、社会人になる前から、否、高校や大学に入学する前から背負い続ける蓄積効果は侮れない。

だとしたら、複雑化した能力主義の浸透した社会とは、「育ちのいい人」がさまざまなアドバンテージに後押しされやすく、そうでない人がさまざまなビハインドを背負わざるを得ない、そういう社会ではないだろうか。

礼儀作法をますます重視する社会、清潔になり健康的になっていく社会は皆にとって本当に望ましいものだったのだろうか? 『「育ちがいい人」だけが知っていること』が書店に平積みされているさまを見ていると、それが私にはわからなくなる。少なくともここに、複雑化した能力主義ならではの不平等を透かし見ることは可能である。