【戦争秘話】終戦後、命がけで残留日本兵の捜索に当たった男がいた!

父は、二・二六事件で命を狙われた首相
神立 尚紀 プロフィール

市民が日本軍を憎悪するのは仕方ないこと

岡田はその後も、何度もセブ島の山に入り、狙撃される危険を冒して、終戦を知らずに残存する日本軍将兵を探し続けた。

岡田にとって残念だったのは、「どこそこに日本兵が残っているはずだから、探しに行きたい」といくら訴えても聞き入れられず、住民が、「ここに日本兵がいる」と通報してきた場所にしか派遣されなかったことと、雨期に入り、トラックが泥のなかを進むことができずに引き返した例が何度もあったことである。

捜索の道中、住民たちから「ハポンハタイOK」(日本人死んじまえ)と罵声を浴びせられたり、投石されたりしたこともしばしばだった。その都度、同行する米兵が、カービン銃で威嚇射撃して追い払う。なかには、蕃刀(ばんとう)を投げつけられて負傷した米兵もいた。

セブ島の住民は、総じて純真で気がよく、親切だが、戦時中、日本軍と住民との関係がうまくいっていたとは言いがたい。

 

戦火に巻き込まれて家族や住む家を失った人も多かったし、戦争のせいで食糧や生活物資にも困窮した。住民が、布を手に入れようと、米軍が投下した落下傘爆弾を拾いに行って爆死する不幸な例も絶えなかった。また、一般住民と外見上は見分けがつかない現地人ゲリラに手を焼いた陸軍の憲兵隊が、疑わしい人物を捕えては酷く取り調べたことも、住民たちの反感を買った。

「職務上とはいえ、拷問はたぶん日常茶飯事、無関係な市民が殺害されたこともあっただろう。だから私は、市民が日本軍を憎悪するのは仕方のないことと思っていました」

と岡田は言う。あるとき、捜索行の中休み、水のきれいな小川で水浴中、いつの間にか住民が集まってきて、悪罵とともに石を投げられたことがあった。群集心理に火がつくのがいちばん危うい。岡田は、わざと平静を装って服を着ると、住民たちに歩み寄った。そして、戦闘帽の錨の徽章を指して、

「君たち、この徽章がわかるか? この錨は海軍のしるしだ」

と英語で語りかけた。何人かがうなずいた。

「君たちの身内や友達に対して、日本海軍が悪いことをしたのを聞いたことがあるか」

誰も反論しない。岡田は、続けた。

「海軍は君らの友人だ。悪いのはアーミー、憲兵だ」

(陸軍さん、ごめんなさい、海軍だって大きなことは言えない。この場を切り抜けるための方便なんです)と心のなかで詫びながら……。

すると、住民のなかから、

「そうだ、そうだ、ケンペイが悪い」

という声が上がり、それはやがて、「ハポンネーヴィー(日本海軍)トモダチ」の大合唱に変わり、こんどは岡田は握手攻めにあった。なかには、「うちに寄って椰子酒を飲んでいけ」と誘う者まで何人も出てくる。だが、捕虜の身でそこまで脱線するわけにはいかない。岡田は、彼らの厚意に感謝しながら、一人一人と握手してその場を去った。