【戦争秘話】終戦後、命がけで残留日本兵の捜索に当たった男がいた!

父は、二・二六事件で命を狙われた首相
神立 尚紀 プロフィール

自分の命を的に、残留兵を説得

日本兵を刺激しないように、米兵と現地ガイドに小山の裏で待つように言い、岡田は3人の案内で、小山の洞窟に向かった。洞窟の入口は、人が体を斜めにしてやっと通れるぐらいの小さな穴で、中は8畳ぐらいの広さがあるという。案内したうちの一人が、中の者に説明しますと言って、洞窟に入った。だいぶ長い時間待たされて、彼がもう一人の兵を連れて穴から出てきた。出てきた兵は、岡田に、

「あなたは(陸軍)抜兵団と一緒にいたと言われるが、兵団長閣下の官職氏名を言ってください」

と訊いた。

「第百二師団長陸軍中将福栄閣下だ。名前は忘れた」

知っているのか、という顔をして、穴に戻る。しばらくするとまた出てきて、

「あなたは(陸軍)玉兵団と行動をともにしたと言われましたが、玉兵団長閣下の……」

「第一師団長陸軍中将片岡董閣下だ」

ふたたび穴のなかに引っ込む。中で誰かが指示をしているようだった。

「あなたは少佐殿(陸軍では上官を呼ぶとき「どの」をつける。海軍ではつけない)と言われるが、大変お若く見えます。年齢と軍歴を言ってください」

岡田は、怒鳴りつけたくなるのをぐっと我慢して、

「大正6年生まれの28歳だ。昭和8年海軍経理学校入校、12年卒業、主計少尉候補生、13年少尉、14年中尉、16年大尉、19年少佐だ」

と答えた。洞窟に潜む陸軍の兵たちも必死だから、こんな問答が延々と続く。そのうち、洞窟から4~5人の兵が出てきて、岡田の話を熱心に聞き始めた。どうやら、戦争が終わったことを信じ始めたらしい。

だがそのとき、米兵の一人が、そろそろ引き揚げないと暗くなると言いにきた。すでに日は没しかけている。もう3時間も洞窟の前で奇妙な問答を続けていたのだ。

ここで岡田は、兵の心理を逆手にとってあえて訊いた。

「お前たちは命が惜しいか」

陸軍の兵たちは、憤然として「いいえ」と口を揃えた。軍人でも命は惜しいに決まっている。だが、こう正面から訊かれて「ハイ」とは言えないのが当時の日本軍人だった。岡田は続けた。

「ここでこんな暮らしをしていれば、お前たちは栄養失調かマラリアで、いずれは野垂れ死にだ。こうしようじゃないか。俺が米兵にかけあって、小銃と弾薬、それに手榴弾の携行を認めてもらおう。そしてトラックに乗ったら、俺のドテッ腹に銃を突きつけておれ。収容所に着いて、俺の言ったことがデタラメだったら、即座に俺を射殺し、お前たちは手榴弾で自決しろ。どうせ死ぬ覚悟なら、早いか遅いかの違いだけだ。どうだ」

一世一代のハッタリだったと、岡田は回想する。この言葉が、兵たちの心を動かしたようだった。洞窟の中の3人は、それでも頑なに出ないと言っているが、はじめに遭った3人と洞窟から出てきた5人が、岡田に同行することを承諾した。岡田は、中の3人に、

「今日連れて行く仲間の一人と一緒に必ず迎えにくるから、ウロウロ出歩いたりするなよ」

と声をかけた。トラックのところでは、米兵がKレーション(段ボール箱に5人分の缶詰や煙草が入った、滞陣用糧食。個人用の野戦糧食はCレーションと呼んだ)を開けて待っていた。陸軍の兵の一人が、これを残る3人に持っていってやってもいいかと聞き、それを抱えて洞窟に走って戻ってきた。

 

驚いたことに、米軍の軍曹は、日本兵が小銃と実弾を携行することを認めた。この日本兵たちは、未だ投降したわけではないから、いつ撃たれてもおかしくない。米兵も命がけで任務にあたっていたのだ。ただ、手榴弾だけはダメだと言う。そのことを岡田が伝えると、陸軍の8人も同意してくれた。

いよいよトラックに乗る。岡田が、陸軍の兵に、

「さあ、安全装置を外して俺の腹に銃を突きつけろ」

と言うと、兵たちはちょっとはにかんだ表情を見せ、

「少佐殿、もういいであります」

と言って、銃を米兵に渡した。岡田は大きなため息をついた。安全装置を外した銃の引き金に指をかけていたら、凸凹道でトラックが揺れた拍子に暴発しないとも限らない。それに何より、自分を信じて身を任せてくれたのが嬉しかったのだ。

こうして、8人を無事、収容所に送り届けた岡田は、数日後、ふたたび洞窟に赴き、残った3人を連れて帰った。のちに岡田が知ったところによると、この11人は、5人が歩兵第四十九聯隊(れんたい)、5人が暁第六千百四十二部隊(船舶工兵教育隊)の所属で、もう一人は不明だったという。

岡田は、このうちの一人と戦後、再会を果たし、ともにセブ島を再訪したが、残る10名は、連絡はとれたものの、一人をのぞいてはかばかしい返事はなかった。戦争中の嫌な思い出に触れたくないのだろうと、岡田は推察するのみだった。