出産ジャーナリストの河合蘭さんが、親の声に耳を傾けて綴る連載「出生前診断と母たち」。本連載では、出生前診断の本質を、妊婦の立場から問い続けてきた。
今回取材にご協力いただいたのは、妊娠13週のときの妊婦検診で首のうしろにむくみがあることがわかり、悩んだ末に話し合い、決断を下したブログ名samoさんご夫婦。現在それから11年が経ち、ご夫婦がそのときの決断をどのように思っているのか。当時のことにもさかのぼり、河合さんがお伝えする。

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11年前に出会ったある夫婦

「samo」という変わった著者名の夫婦ブログと私が出会ったのは2009年のことで、もう11年も前になる。samoさんは、2人目の子どもを妊娠した際、妊娠初期に「システィック・ヒグローマ(嚢胞性リンパ管腫)」という深刻な病気があるという診断を告げられた。そして夫妻は、その後に起きたことを妻と夫が交互に書くというユニークな形でリアルタイムにブログに綴りながら妊娠を継続した。あかりちゃんと名付けられたその赤ちゃんは、生まれてまもなく短い生涯を閉じた。お腹の中で239日、生まれてから12時間の命だった。

今、インターネットで障害児・者に関することを何か書けば、コメント欄に誹謗中傷を書き込まれることは避けられない。でも、「あの頃はまだいい時代」と、samoのひとりであるpapaさんは言った。

「胎児が病気と言われた親のブログはまだ目立たない存在だったためか、ブログにコメントを寄せてくださったのはほとんどが同じ境遇にある方たちでした。ですから、私たちは終始温かいものをいただき続けました」

実は、samoさん夫婦のブログは2010年に講談社文庫『きみにあいたい あかりが生きた239日、そして12時間』として出版されており、私はその解説を書かせていただいた(現在は品切れ重版未定)。その文庫本の担当編集者が現在はこのサイトで編集長を務めているというご縁から、私は今、このサイトで「出生前診断と母たち」を連載している。

2010年に刊行された本の解説を河合蘭さんが書いたことがsamoさんとの出会いだった 

10年経っても、読み返せずにいる

私は今回ご夫妻に再会をして、11年の歳月を得て今思うことをお聞きしたいと思った。ブログには、全力でやり切ったご夫婦の姿が描かれていたから。そして、samoさん夫妻はその後一児に恵まれ、現在、2人の子どもと共に暮らしていたから。私は、samoさん夫婦は当然この記録を何かの機会に――たとえば命日を迎えたときなどに読んでいるのではないかと勝手に思っていた。しかし、それは浅はかな想像だったと、今、思う。

samoのpapaさんは言った。
「読み返したいな、と思うことはあります。ただ、それには、それなりに心の準備が必要で……結局、まだそうした機会が持てないでいます」

mamaさんは言った。
「私も、実は、読み返したことはまったくないのです。あれから10年の間には(文庫化からは、今は10年目にあたる)同じような悩みを持った人と出会うこともあって、そんな時には本を渡すことがありました。私たち自身がたくさんの方に支えられたから、私たちも誰かを支えたいと思うのです。でも、自分ではまだ本のページをめくったことがありませんし、これから先、そうできる日が来るかどうかも、まだ自分ではわかりません」

mamaさんは、今もなお苦しんでいた。
「私自身にとっては、あかりちゃんのことは決して美談ではないというか――。私たちが日々の生活の中で元気な子どもふたりと幸せに暮らしていると、どうしても心のどこかであかりちゃんに対して負い目を感じてしまうのです。あかりちゃんだけ、ちゃんと産んであげられなかった。その思いが、私にとっては内心まだとても強く、だからいまだに本を開くことができないでいるのです」

ただ「親というものは……」とmamaさんは言葉を継いだ。「何をどう選択しても、もっとこうしてあげたらよかった、ああしてあげたらよかった、と思うのかもしれません。私たちはあかりちゃんが生まれるまでお腹の中に居させてあげることを選択して、あの時はそれが最善だと思ったけれど、それも、そうすることが正解だったかどうかということは今もわかりません」

実はあかりちゃんの妊娠継続は、母体の健康状態にも影響が及ぶ凄絶な体験だった。
命がけともいえるその物語を、11年前のブログから辿ってみたい。