安倍長期政権を「担ぎ上げた」のは誰か? 「論壇」から読み解く

変わる人たち、変わらない人たち
後藤 和智 プロフィール

その後には「若手論壇リベラル」という言葉が出てきます。

また、城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』(ちくま新書、2008年)においては、「左派は若者の味方であること」を「昭和的価値観」として斬り捨て、佐々木俊尚『当事者の時代』(光文社新書、2011年)においては旧来の「市民派」マスメディアにおける「マイノリティ憑依」を問題視するなど、古い左派は「若者」ないし「若手論客」的ではないものとして排撃の対象になっていました。

そんな状況下で、「古い左派」と自らを差異化したい「リベラルを自称する若手論客」にとっての光明となったものが2011年から2013年にかけていくつかありました。

代表的なものを2つ挙げると、第一に東北地方太平洋沖地震に関連して起きた福島第一原子力発電所の事故に起因する放射能デマ、福島差別に関するものです。

一時期、放射能汚染の影響を心配するどころか、それを過剰に煽り立てる動きが左派にあり、福島とチェルノブイリを同一視する言説は、当時東京に住んでいましたが、仙台出身で、福島県のいわき市に住んでいたことがある私にとっては腹立たしいものでありました。

しかし、そういった批判は、原発事故を起こした電力会社への批判の封じ込めや、放射能汚染を恐れて「自主的に」非難する人へのバッシングも引き起こしました。

 

そして第二に、自民党の政権奪還のきっかけとなった「アベノミクス」に対する評価です。当時野党だった安倍自民党は、大胆な金融緩和と財政出動という「反緊縮」と成長戦略を掲げて選挙に挑み勝利しました。とりわけ安倍政権に対する、リベラルを自称する若手論客への評価を決定づけるものになったのが、松尾匡による論考です。

やっぱりですね、正副日銀総裁人事の一件では、日本の左派系、中道リベラル系政党に行き渡る、金融緩和嫌いがマザマザと明らかになってしまった。これは本当にゆゆしき事態ですよ。
「唯物史観」ってものは絶対ですからね。マルクス主義の何を捨ててもこれだけは残してもらわなければ。
そしたら、「憲法かメシか」と迫られたら「憲法よりメシ」となるのは唯物論的に見て当然の流れだと予想できるでしょう。安倍内閣の改憲・右傾化姿勢に不安を感じつつも、このかんの不況に苦しんできて景気拡大を望んでいる人々にとっての受け皿がなければ、安倍さんの勝利が続くことは明々白々です。
なんとか、日本の左派、中道リベラル系の世界に、「インフレ目標・金融緩和と財政拡大で景気刺激することは、左派、リベラル系の世界標準政策なんだ」と理解してもらわないと……と思って、情報発信させていただける機会があるならば喜んで利用させていただきたいと思っているわけです。
(略)
断言しましょう。大変な好景気がやってきます。バブルを知らない若い世代は、これを見てビビって目を回すでしょう。
次の総選挙は、消費税引き上げ後の多少の混乱を乗り越えたあとの、絶好調の好景気の中で迎えることになります。世の中の一層の右傾化を防ぎたいと願う者は、これを前提して対策を組み立てなければなりません。「ただのバブル」とか「ハイパーインフレ」とか「すぐ挫折する」とか、裏から期待が透けて見えることを言って、金融緩和に反対していたならば、一議席も残らず消滅する結果になっても不思議ではありません( http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__130408.html )。

このくだりに対する評価は措くとして、「左派は金融緩和が嫌い」「金融緩和は本来は左派の政策」「金融緩和で好景気がやってくる」という言説は、旧来の左派との差異化を求める側にとって格好の素材でした。

ここに原発事故や放射能汚染関係に関するデマ批判で「科学的」という自己イメージを得たリベラル自認層は、旧来の右派と共に安倍政権を持ち上げることになります。

彼らの言動は、「若者の敵」というイメージを旧来の左派に貼って、自己と旧来の左派の差異化を図ったものに過ぎないと言うほかありません。

典型的なのは大阪大学教授の菊池誠でしょう。

彼は2006年にNHKの「視点・論点」で「まん延するニセ科学」という発表を行い、科学的に根拠のない、もしくは薄い「ニセ科学」が道徳として教育現場に入っていっていることを批判するなど、「ニセ科学」問題に対して積極的に活動してきました。

しかし近年の(少なくともツイッターにおける)菊池は、むしろ「安倍政権を持ち上げて既存の古い左派を批判する」行動が過ぎるように見えます。

例えば首相の配偶者である安倍昭恵が「私人」であるか「公人」であるかをめぐって左派から起きた批判に対しては《家父長制を支持するならともかく、真にリベラルを自認するなら「首相は配偶者の不始末の責任を取れ」などと言うべきではないよ。首相だろうが配偶者だろうが独立した個人だというのは大前提だ。共謀があったのなら別だけどね》と、私人と公人の立場の混同が問題のはずなのに、ほとんど誰も言っていない《首相は配偶者の不始末の責任を取れ》と言っているとして批判派を「正しいリベラル」ではないとしたり、森友・加計学園問題については《野党の質問時間を多くするほうがいいと思うんだけど、その結果出てくる質問が「もりかけ」ばっかりだったら、みんな呆れちゃうよ。政策の話しないとな》などと他の委員会のことを無視して述べていたりしています。

菊池の言説は、森友・加計学園などに対する政府の不誠実な態度に決して向くことはなく、自分は旧来の左派を善導できる「正しいリベラル」であるというような自己イメージのためだけに使われます。

ちなみに菊池は《最低賃金っていうのはアルバイトの高校生を搾取しないように定められてる金額ですよ。ほんとに景気がよかったら、最低賃金は殆ど問題にならない。景気をよくする反緊縮の経済政策を提案できない政党が最低賃金1500とか言うわけですよ。これは本末転倒でしょう》とも言っていますが、少なくとも《景気をよくする反緊縮の経済政策》を一貫して提案してきた松尾匡は府発注の事業において最低賃金を時給1500円にするという、2018年京都府知事選挙における共産党系候補の政策を支持しています(「安倍政治を止めたい野党の『大きな勘違い』」)。

また松尾は、安倍政権の経済政策を「縁故資本主義」として批判し、さらにCOVID-19の対応においては主要先進国最大の緊縮国家となったとしています(松尾「安倍政権下でなぜ日本は『縁故資本主義』になったのか、その本質的理由」)。