大坂なおみ選手の「棄権」とは何だったのか、日本で報じられない「抗議の背景」

BLM運動、そして歴史との関わり
坂下 史子 プロフィール

スポーツと人種差別

黒人アスリートが抗議の声を上げてきたことは、スポーツにおける人種差別の歴史と無関係ではない。現在の黒人アスリートの活躍は、遊興・宿泊・飲食施設や公共交通機関、教育機関など生活のあらゆる側面が「白人用」「黒人用」に分けられていた人種隔離の時代に、黒人がスポーツ界や芸能界以外への進出を阻まれたことに起源がある。黒人にとって、歴史的にこれらの分野が数少ない活躍の場だったわけだ。そのスポーツ界でも、ほとんどの種目で20世紀半ばごろまで人種隔離が続いていた。

8月28日、コロナ禍で開幕延期となった大リーグでは、例年4月15日の「ジャッキー・ロビンソン・デー」が実施され、すべての選手が背番号42を着けて試合を行った。

今年のジャッキー・ロビンソン・デーの試合の様子〔PHOTO〕Gettyimages
 

1947年に2リーグ制下で初の黒人メジャーリーガーとなり、大リーグの「人種の壁」を破ったロビンソンの功績が毎年称えられているのだが、これは裏を返せば、それまで黒人は大リーグでプレーできなかったということだ。ロビンソンも以前は「ニグロリーグ」と呼ばれる黒人リーグの選手だった。

大坂の活躍する女子テニス界も、かつては人種隔離が黒人女子選手の活躍を阻んでいた。1956年に四大大会の一つである全仏オープン女子シングルスで黒人選手として初優勝し、1957年と58年には全英オープンと全米オープンの女子シングルスで連覇を果たしたアリシア・ギブソンは、1950年まで全米オープンへの出場を認められず、黒人のテニス協会が主催する試合にのみ出場せざるをえなかった。テニス界の「人種の壁」を破った後でさえ、遠征先で主催者のテニスクラブに歓迎されなかったり、ホテルへの宿泊を断られたりすることも多かったのだ。

人種隔離がなくなったとはいえ、今も黒人アスリートの活躍が見られるのは特定の種目に限られている。たとえば黒人の多いバスケットボールや野球、陸上競技などは、プロを目指すのに比較的お金のかからない種目とされる。

他方、ゴルフやテニスなど、会費制クラブに所属しなければならない種目では、活躍する黒人の数は極めて少ない。テニスの世界では、前出のギブソンの次に黒人女子選手がグランドスラムを獲得するのは1999年、当時17歳のセリーナ・ウィリアムズの全米オープン初優勝だが、実に40年以上も後のことである。