イギリスではエドワード・コルストンの像が川へ投げ入れられた〔PHOTO〕Gettyimages

「現代の価値観で過去を裁くな」論のおかしさ〜BLM運動の「銅像破壊」を巡って

日本にとっても他人事ではない

Black Lives Matter運動のなかで、人種主義を唱えた歴史上の人物の銅像や記念碑などが破壊されることがあった。これに対して、日本でもSNSなどで「現代の価値観で過去を裁くな」という発言が見られたが、こうした主張をどう考えればいいのか。東京外国語大学教授の岩崎稔氏が解説する。

銅像や記念碑に向けられた抗議

Black Lives Matter. 黒人の命も大切だ。こんな当たり前に見える要求が、コロナ禍で揺れる世界のなかで一大焦点となっている。しかしそれは「当たり前」などではなかった。ミネソタ州ミネアポリスでジョージ・フロイドさんが警官に首を8分間も押さえこまれて殺された事件は、いまも厳然と存在する人種差別の深い闇を照らしだした。

法や制度では形式的な平等を承認されているはずであるのに、実際には肌の色による差別が暮らしのさまざまな局面に根を張り、人生の可能性を執拗に塞(ふさ)ぎ続けている。事件をきっかけとして、黒人であることによって強いられる不正義に抗議する多様なひとびとが立ち上がり、その波は世界中に広がっている。しかし、アメリカでは事件のあとにも類似の出来事が絶えない。8月23日にはウィスコンシン州で、またも黒人男性が背後から警官に銃で撃たれ重体に陥った。

くり返されるこうした行為の背景には、それを引き起こす社会の変わろうとしない在り方がある。だからこそ、BLMの争点は、個々の事件だけではなく、人種主義と植民地主義を根本から改めさせようという、歴史的に大きな見通しをもった運動になった。

9月3日にタイムズスクエアで行われたデモ〔PHOTO〕Gettyimages
 

理性と自由を擁護し、市民的権利を大切にしてきたという西欧近代の歴史は、その裏面にアフリカやアジア、南北アメリカに対する底知れない暴力と収奪というもうひとつの歴史を持っている。近代資本主義にとっては、ある時期には大西洋を挟んだ奴隷貿易がその発展の重要な推進力となってきた。そうした植民地支配が「悪」として明確に語られるようになるのは、ようやく20世紀の後半になってからである。

しかも、植民地化されていた地域の形式的な独立が達成されても、支配は経済的、文化的な領域で持続していて、肌の色をめぐる象徴的な暴力はたえずひとびとを苦しめている。カリブ海に浮かぶフランスの植民地だったマルチニック出身の作家フランツ・ファノンが『黒い皮膚・白い仮面』(海老坂武、加藤晴久訳、みすず書房、新装版は2020)で問いかけた人種主義の視線の暴力は、いまも切実な問題である。