日本で、そして世界で宗教が捨てられようとしている

現代人の死生観「もう救いはいらない」
島田 裕巳 プロフィール

もう救いはいらない

なぜ先進国で、宗教が捨てられる事態が起こっているのだろうか。

私は、死生観の転換が起こっていることにその原因を求めている。

まだ平均寿命が短かった時代には、社会的な環境も医療も十分に発達しておらず、病に罹る確率は高く、重い病に罹れば、回復が難しかった。そうした時代には、人々は自分は「いつまで生きられるか分からない」と思いながら生活していた。

それも、現世の暮らしが苦に満ちたものだったからで、人々はむしろ死後に期待をかけ、天国や極楽、浄土に生まれ変わることを望んだ。だからこそ、宗教に期待が集まったのだ。病気治しについても、かつては、医学は無力で、宗教に頼る人たちが少なくなかった。

この時代の死生観を、私は「死生観A」と呼ぶ。

それが、社会環境が整い、医療が発達してくると、平均寿命が飛躍的に伸び、多くの人たちは80歳、90歳まで生きられるようになっていく。今の日本がまさにそうだ。100歳を超えて生きる人も珍しくなくなってきた。

そうなると、人はいつまで生きられるか分からないとは考えなくなる。自分が相当高齢になるまで生きられることを前提に人生を考え、死に至る人生をスケジュール化されたものとしてとらえるようになる。そのスケジュールをこなしていくことが、生きることであり、死ぬことなのである。

これを私は「死生観B」と呼ぶ。

死生観Bが成り立つのは、社会が、あるいは現世の暮らしがそれだけ好ましいものになったからである。そうなると、来世に対する期待は薄れる。病気に罹っても、宗教に頼ることなく、医学に頼る。

そうなれば、宗教の出番はなくなってしまう。死生観Aの時代に生まれた宗教は、死生観Bへの転換が起こることで、無用のものとなり、捨てられることとなったのである。

死後に天国や極楽に生まれ変わることを説くことは、宗教にとって最大の武器だった。それに人々がすがったのは、それだけ現世での暮らしが苦しいものだったからである。

 

私たちは今、自分たちが生きている現世よりも素晴らしい来世を想像することができるのだろうか。浄土教信仰を説く僧侶でさえ、浄土の実在を信じてはいない。もう信じることができないのだ。

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