子どもが帰属すべきは家族

この世間体優位の考え方は、西洋のキリスト教的倫理観のもとでは信じがたいものです。

イタリアの場合、子どもがいじめられて帰ってきたら、まず事情を確認するべく親が学校へ向かいます。子どもを守るため、対立した相手の子どもや親との話し合いにも行くでしょうし、時には転校を決める。「適応できない場所に、つらい思いをして無理に合わせることはない」と子どもを家族で守ります。子どもが帰属すべきは家族で、社会ではないのです。

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イタリアでは、学校とは学習教育を受けさせる場で、子どもの人格や倫理観を育むのは家庭だという理念がはっきりしています。またいじめが起きても、保護者はその責任が学校にあるとは考えません。しかし日本の場合、まず学校にその責任が向かう。まったく考え方が違っています。

とはいえ、北部イタリアのような経済活動が活発な地域では、家族のあり方が変わってきた気配もあります。数年前、テストの点が悪くて親から叱られることを危惧し、自殺してしまった子どもがいましたし、豊かな家族を装うことで経済的に破綻し、無理心中した家族もありました。いずれにせよ、それまでのイタリアからすれば前代未聞の事件です。

コロナで変わらざるを得ない社会を生き抜く術とはどういうものなのか。これから先、世間体による評価が生きるうえでの優先順位となるような事態が、イタリアでも起こり得るのか。私は不安を覚えています。

※本記事はヤマザキ マリさんの新著『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)より著者の許可のもと抜粋・再構成したものです。