天皇の「コロナ関連発言」から見えた、上皇との「大きな違い」

「国民と同じ方を見る」
大木 賢一 プロフィール

追悼式で白木の標柱に向かって語り掛ける陛下の姿を目にし、言葉を耳にした時、私はこの「日の丸振り仰ぎ」の際と同じ感慨を持ちました。どこまでも国民と同じものを見ようとし、国民に成り代わって事に当たろうとする姿勢。その起源は35年前、25歳だった陛下が皇室のあり方として「国民の中に入ることが必要」と発言した時にあり、以来ずっと変わらずにあるのかもしれません。

私は個人的に、象徴天皇の役割とは結局「国民に成り代わる」ことに尽きるのではないかと考えています。「象徴とは一体何なのか」という問題は永遠に答えがないものなのかもしれませんし、「生前退位」「新天皇即位」という歴史的出来事を経た今でも、議論が尽くされたとは思えません。

「象徴とは、何ものかに成り代わるものなのではないか」という考えに至る経緯について、共同通信の連載「新・象徴考」で書いたことがあり、この記事も前掲の書籍に収録されていますが、紙幅の都合上、ここでは触れません。

ご進講を重ねてコロナに関する「知見」を蓄えることも、進講者に対して労いの言葉を掛けることも、全て「国民に成り代わって」されていると解釈できるのではないでしょうか。

〔PHOTO〕Gettyimages
 

「令和流」は、もう始まっている

平成の時代は、パフォーマンスじみたメディアへの露出が多すぎたと私は思っています。考えてみれば、ビデオで国民に語り掛けるのは、国民とは真逆の方向を向いて、国民に相対しているわけです。現在の陛下は、それとは違う道を歩んでいる、パフォーマンスは必要ない、国民に向かって何かを諭すようなことはしない。思慮深く遠慮深い令和の陛下にふさわしい新しい姿はすでに始まっている。私の思考は今、そんなふうにまとまりつつあります。

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