『半沢直樹』に関しては、池井戸潤氏の原作小説、大和田暁の再登場をはじめ視聴者の期待に応える大胆な脚色、力感とスピード感あふれる演出、経験豊富な俳優たちの必死な姿など、すべてが熱気であふれる高次元のエンターテインメントだった。
ドラマに留まらず、「こんなに面白いコンテンツを作れる」というテレビの存在意義を示したことが最大の功績と言っていいだろう。
そんな作り手の熱気が視聴者に伝わり、ドラマそのものへの期待感を抱かせているとともに、各局の作り手たちは「俺たちも頑張ろう」「負けていられない」と勇気をもらっていると聞いた。また、「ここまでやらなければ『半沢直樹』のようなヒット作は生まれない」という基準や目標ができたことも収穫だろう。
ゆえに、『半沢直樹』がヒットしたことによる懸念はない……と言いたいところだが、やはり「作り手が模倣してしまう」というリスクは高い。
事実、前シリーズが放送された2013年夏以降の数年間、「主人公がたんかを切って根っからの悪人を叩き潰す」という極端な勧善懲悪のドラマが乱発され、そのほとんどがヒットすることなく、ひっそりと終わっていった。
さらに、視聴者の声も見逃せない。現在ネット上には、『半沢直樹』にハマるあまり、「『半沢』は凄いのに他はひどすぎる」「アイドルドラマばかり作っているからだ」などの酷評が続出している。もちろん各局の制作姿勢にも問題があるのだが、『半沢直樹』の礼賛と他作品への酷評は別にしておいたほうがいいだろう。
そんな『半沢直樹』と他作を比べた酷評が増えるほど、中途半端に模倣したものが増えてしまうだけであり、それは視聴者にとっても得策ではない。近年、各局の作り手たちは、視聴者の声に対して敏感になっているだけに、『半沢直樹』と他作のギャップが大きいほど、偏ったラインナップになってしまうのだ。