年収100万の貧困家庭で育った私が、「穴あき下着」で過ごした青春時代

貧困家庭の「衣」食住
ヒオカ プロフィール

「可愛い制服」なんて夢のまた夢

また、七五三やクリスマス、誕生日と言った行事でも、格差は如実に表れていた。

お宮参りや七五三はもちろんしたことなんてないし、誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントももらわなかった。また、親戚との交流、お年玉をもらう、という文化もなかった。

友達がお年玉の使い道を話しているのを聞いて、お年玉を毎年もらうのが“普通”だと知った。また、それを小学生の時から「貯金」しているというのも、本当に私にとっては衝撃的な事実だった。

 

友達の家にはゲームがあり、子ども部屋があり、立派な車があり、両親もこぎれいな服装をしていた。一方、私の父はいつも同じくたびれたシャツにゆるんだ短パン。とても人に会える恰好ではなかったが、同じ服しか持っていなかったようだった。ちなみに両親とも超貧困家庭出身で、父親も幼少期はつぎはぎの服を来ていたそうだ。

中学・高校とあがると、制服や体操服などを買いそろえなければならないという問題に直面する。

私は知り合いからもらったお下がりの制服を来ていたのだが、それがタイトかつ寸足らずで、意図せずミニスカート状態であった。高校は進学校で校則が厳しかったので、スカート丈の検査で引っかかって怒られてしまったこともある。

また、上着は腕を上げると胸のボタンが外れそうになるほど窮屈だったため、さらに別の人に丈の長いお下がりをもらった。すると、今度は横幅がデカく、なんとも言えない昭和の女子高生のようなダサさがにじみ出ていて、それはそれは不格好だった。

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JK向けの雑誌を立ち読みなんかして、「可愛い制服」に憧れを抱いていたが、最後までサイズの合わない制服で過ごしたのは、今でも少し胸がちくりとする思い出である。

ユニフォームや合宿代がかかるという理由で運動系の部活はさせてもらえなかった。バイトが見つかると退学、部活動は強制の進学校だったので、書道部や美術部、ESS(英会話クラブ)なんかを転々として、半ば幽霊部員として過ごし、放課後はひたすら市立図書館にこもって自習をして時間を潰していた。

そんな私ではあったが、受験勉強のかいあって関西の公立大学に合格。母が入学金を知り合いから借金してくれ、なんとか大学生になることができた。地元を離れ、憧れの関西でのキャンパスライフをスタートできる。そんな喜びも束の間、入学した時にハードルとなったのが、私服を買い揃えることだった。