# 怪談

なぜ女生徒36人は突然、海で溺れ死んだのか…「橋北中学校水難事故」の真実

本当にあった怪奇事件簿④
朝里 樹 プロフィール

発端は週刊誌の記事だった

そして事故から8年後、『女性自身』に生還者の一人である梅川弘子氏の手記と題した記事が載せられた。この話の中で頭にぐっしょりと濡れた防災頭巾を被り、もんぺをはいた女性たちが波間から近付いてきたという証言が載せられた。

また先述した津市の警察署の地下室に逃れた人々が空襲で死んだ、という話もここで登場する。そしてこの死体の一部は中河原海岸に埋められたとも記されている。

津市における空襲は実際に昭和20年(1945年)7月28日から29日かけて発生しており、多くの人々がその犠牲となった。しかし彼らの遺体が海岸に埋められたという事実はなく、後に大規模な工事が中河原海岸で行われた際にも遺骨は発見されなかったという。

そして重要なのは、先述した『女性自身』の記事以来、現在に至るまで中河原海岸事故の亡霊の目撃者とされてきた梅川弘子氏(梅川は旧姓、現在は中西弘子氏。以下中西氏と表記)は、一度も亡霊を見たと証言していないということである。

Photo by iStock
 

中西氏はその後何度も書籍やテレビ等でこの事件について語っているが、その都度亡霊を見た証言者、もしくは見ていない証言者という真逆の二つの立場で登場している。

そして『死の海』にて後藤氏が改めて彼女に話を聞いたところ、本人は亡霊を目撃したこと話したことはなく、『女性自身』に手記として掲載された記事も、実際には記者が中西氏の話を元に書いたもので、彼女の証言とは食い違うのだという。

つまり中河原海岸の亡霊たちは、メディアによって作り出された怪異だった。

関連記事