母から教えてもらった人間の寿命

母には小さいころから「人様に迷惑をかけるようなことはするな」とよく言われていました。自宅で編み物教室を開き、多くの生徒さんを編み物講師に育て、また詩吟の名取で、書道の師範でもありました。個人の技術を磨くことは幼いころから母を見て影響を受けていたのだと思います。

少し手の動きが不自由になったときも「孫のためにマフラーを編む」というリハビリで、見事な2目ゴム編みという技術で編んでいるのを見た時に、長年身体が覚えた技術はすごいものなんだなぁ~と感心したものでした。

そんな母も意識が行ったり来たりするようになり、無意識のうちに手が動いて点滴などをはずしてしまうためにミトンをつける時が多くなっていきました。私はギリギリ7月まで車に乗れていたので、空いている時間はなるべく母の病室に行こうと頑張っていました。寝ていることが多くなった母ですが、病室に行って声をかけると目を覚ましました。そこで私は、行ったり来たりの記憶のお話の相手をするのです。

口からご飯が食べられなくなり、鼻からの栄養と点滴だけになりながらも、昔話や私の仕事の話を穏やかに聞いていた母。私の検査入院中にあちらに行ってしまうのではないかと思っていた予感が、当たってしまいました。私のかみさんと息子に看取られて、私に迷惑をかけない母らしい旅立ちでした。

亡くなった2日後の明け方、ふと気配を感じて薄目を開けると、いつも病室にお見舞いに行った帰りに必ず声をかけてくれた「じゃあねっ」という母の笑顔声が聞こえた気がしました。母らしい声でした。

津久井さんと、お元気だったころの母親との記念撮影。行動的でお茶目な様子は、津久井さんそのままだ 写真提供/津久井教生