アベノミクスは破綻する?(photo by iStock)

支配エリートが進める現代版「帝国主義」と闘うにはどうすべきか?

反緊縮左派が試されるとき(6)
「アベノミクス破綻」という希望的観測を言い続けた結果、野党は安倍政権に歴代最長の連続在職日数を許しました。その姿勢は、「資本主義の全般的危機」を信じて衰退した冷戦時代の左翼と通じると、経済学者・松尾匡氏は分析します。支配エリートが進める現代版「帝国主義」と闘う姿勢を模索します。

第1回:私利私欲を度外視した公共的理性が、唯一無二の生命を犠牲にする
第2回:新自由主義による悲惨な現実を解決できるのは、左派ポピュリズムです
第3回:
左派ポピュリズムが日本で望まれ、「反緊縮」を装う新維新が躍進?
第4回:「高プロ」も愛国教育も、支配エリートの新「帝国主義」への布石か?
第5回:日本の支配エリートはコロナでもたない企業は潰れてよいと思っている

左翼はどこでまちがえたのか?

ソ連崩壊以前の左翼の姿勢で一番反省すべきだったことは、社会の仕組みが変わる「必然法則」を「危機論」としてとらえていたことだと思っています。

例の「資本主義から社会主義への移行の必然法則」のことですが、これを、「資本主義の経済体制は、やがて必ず恐慌の激化だとか帝国主義戦争だとかで危機に陥る。だから多くの人たちが生き延びるためには社会主義の経済体制に移行せざるを得ない」ということとして説明していたのです。

マルクスの説いた社会主義到来の「必然性」とはどういう意味か?(photo by iStock)

特にロシア革命後は「資本主義の全般的危機」の段階に入ったとされ、「全般的危機論」なんてのが大学の講義科目になっていたとも聞きます。

けれども一向に資本主義はつぶれてくれないので、資本主義の全般的危機の「第二段階」だ「第三段階」だと言って、しまいに「第四段階」になったとかならないとか、そんな議論がされていました。

 

庶民の苦しみよりも指導者の理論

これの何がダメかと言うと、世の中を変革しようという志は、たいてい、自分や目の前の庶民が苦しんでいるのをなんとかしようということから始まるものなのに、そこから切り離された理由づけで社会変革を根拠づけてしまうことです。

目の前の闘いに合理的でスケールの大きな根拠づけができて、元気が出て運動が広がることまではいいことです。

よくないのは、歴史の進歩のためという根拠づけの方が一人歩きして、自分や目の前の庶民の働き方や暮らしの素直な願望をふみにじる本末転倒が起こることです。

現場の大衆の素朴な実感よりも、「必然法則」を把握する指導者の言うことの方が優越することになり、上から目線でそれを現場に押し付ける姿勢が正当化されます。

こんな姿勢がまかり通ると、「歴史の進歩」どころか、もっと瑣末な政治課題の都合のために現場の運動が引き回されてしまいます。内ゲバなどはその行き着く先ですが、そこまでいかなくても人生ボロボロになった人はたくさんいました。

大衆を見下し、危機を待望するように

そんな状態の中で、いつまでたっても資本主義の危機がやってこず、かえって労働者の暮らし向きが豊かになっていったならば、「資本主義から社会主義への移行の必然法則」など大衆から信じられなくなってしまいます

ニクソンショックだ、オイルショック恐慌だ、第二次オイルショックで不況だ、アメリカが「双子の赤字」だ等々と、何か起こるたびに資本主義の危機だと叫んできたけど、結局いつも資本主義はそれを乗り越えて発展を続けてきたじゃないですか。これでは聞く耳持たれなくなって当然でしょう。

そうしたとき、危機論的根拠づけをしてしまった活動家に起こりがちなのは、言う通りにならない大衆を、支配階級の宣伝を鵜呑みにする者とか、目の前の私生活の瑣末な改善に満足する者とかとみなして見下して、受け入れられなくても「真理」を言い続ける自分たちに優越感を感じて満足してしまうことです。

そして「危機」を待望するようになり、将来、危機がやってきて小市民的幸福を打ち壊された大衆が、「あああなたの言う通りだった」とひれ伏してくることを夢想するようになるのです。

こうなったとき、語り方はますます大衆に届かなくなり、狭いサークルの内輪にこもるようになる。冷戦期左翼はそうやって衰退していったと思います。