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古代ペルシア帝国の歴史を作った、知られざる皇帝たちの魅力

頑固なトマトと、聞き分けのよいトマト
古代ペルシアに興った2つの大帝国、ハカーマニシュ朝(アケメネス朝)とサーサーン朝の栄枯盛衰を描いた新刊『ペルシア帝国』はすぐに重版が決まりました。ペルシアの思想を研究してきた青木健氏は、本書を執筆する中で、これまであまり知られてこなかったペルシアの大王・皇帝たちの新たな魅力を発見したといいます。ペルシアの思想、そしてその歴史の面白さとは?

世界に類を見ないペルシアの思想

筆者は、日本人研究者の中では珍しく、ペルシアの思想研究を専門にしている。その筆者の眼から見て、ペルシア思想史は独特である。

そこでは、日本人が通常意識しないような問題が、重大な関心を以って提起される。それは、中国思想もヨーロッパ思想もインド思想も、主体的には取り上げないような問題意識群である。

 

それらの中で本稿が注目したいのは、民族主義と普遍主義の相克である。

このような問題提起の契機は、ユーラシア大陸の西南部たるペルシアの地理的位置に求められる。

西はメソポタミアの沃野と地中海世界を望み、東南にインド亜大陸が控え、東北には中央アジアと、その果てに中華世界が広がっている。交通が四通八達した土地である。

バイ・シャーブフル遺跡背面のタンゲ・チョウガーンの谷からの景色(筆者撮影)

対照例として中華世界を挙げてみよう。その中央に住む漢民族は、自らの世界を中華と確信し、周囲を夷狄と見做すことができた。ここでは、民族主義と普遍主義が、幸いにも(漢民族にとっては、だが)等号で結ばれる。

だが、ペルシア人は、漢民族と同等の重畳の歴史を誇るにも拘わらず、そのような幸せはついぞ摑めなかった。四方に居るのが、夷狄どころか、相応に文化程度の高い民族ばかりだったのである。

さりとて、周囲を囲繞する文化圏に吸収されるにしては、ペルシア文化の持続力はあまりに強靭だった。それ故、ペルシア人には、自らを世界の中心とする自意識はあっても、それが自己完結できなかった

結果として、ペルシアの思想史では、強烈な自民族中心主義と、闊達な普遍主義への志向が、綾なして出現することになった。

民族主義と普遍主義の連鎖劇

その連鎖劇を、時系列順に挙げてみよう。

先ずは、ペルシア人以外はとても信仰できないような土俗的香りに満ちたゾロアスター教。

続いて、民族を超越し、シリア系キリスト教、ゾロアスター教、仏教、ジャイナ教(最近の研究では、ジャイナ教を付け加えることが多い)の統合を図った普遍主義の極致マニ教。

さらに、外来の普遍宗教たるスンナ派イスラーム。それが、偶然の成り行きによってシーア派イスラームに転換すると、全宗教の統合を説くバハーイー教が出現するといった有様である。

この振幅の大きさが、ペルシア思想を研究するうえでの魅力の一つである(ちなみに、ペルシア思想史上、この「民族主義と普遍主義の相克」に絡むのが、二元論、グノーシス主義、神秘主義などの問題群である)。

而して、この連鎖劇には、まんざら法則性がないでもない。

当たり前の話だが、ペルシアを中心とした政治的統一体が成立した期間は、民族主義が優位を占め、逆にその帝国が解体するか、あるいはより広汎な地域を支配する上位の帝国に包摂された場合には、普遍主義の勢いが増す

筆者が「ペルシア帝国」に関心を抱いたのは、まさにこの点に於いてである。「帝国」が、霊媒のようにして民族主義を召喚するダイナミズムに惹かれ、このプロセスを、いわば裏側から──「帝国」の側から──垣間見たいと思ったのである。