これまで、「方向」、「次元数」という手がかりから時間を考えてみましたが、もう1つ重要な手がかりとして「大きさ」という観点から検証してみました。ところが、時間の最小単位として、ミクロの素粒子レベルを追いかていたら、時間そのものが消えてしまいました。
「時間は流れる」なんて考えはナンセンス!? 「超弦理論」と「ループ量子重力理論」という、物理学の次世代理論の探検に、いざ出発です!
時間の大きさ――それは一定ではない
さて、時間について考える手がかりとして、「方向(時間の矢印)」「次元(次元数)」を参考に、逆戻りする可能性を考えてきましたが、もうひとつ、3つめの手がかりとして、「大きさ」を挙げたいと思います。
といわれても、「時間に大きさなんてあるの?」と戸惑われる方もいらっしゃることでしょう。 たしかに、時間に「かたち」があるとは思えません。かたちがないものに、大きさがあるとも思えません。それに、時間はつねに一定の速さで進む絶対的なものですから、大きいとか小さいとか、相対的な「サイズ」があってはいけないようにも思えます。
しかし、それらは時間についての誤った思い込みです。
第2回の〈絶対不変の時空を歪めた相対性理論。それでも破れなかったものとは?〉で触れたのですが、時間と空間は一体であると、アインシュタインは考えました。じつは、相対性理論では時空は物体の運動によって、伸びたり縮んだりします。サイズが変わるのです。だから時間の進み方が速くなったり、遅くなったりするのです。
つまり、空間も時間も、絶対的なものではなく、相対的なものである――もう100年以上も前に、アインシュタインは、そんなとんでもないことを言って、人類の自然観を根底から覆しました。

でも、残念ながら日本の高等学校までの理科教育では、いまだに発見から100年もたった相対性理論が教えられていません。多くの日本人が時間に相対的な「サイズ」がないと思い込んでいるのは、このあたりに原因があるような気がします。
時間の大きさ、最小単位はどれくらい?
さらに、もうひとつ、では時間の「大きさ」には下限があるのか、あるいは、最小の単位のようなものはあるのか、という論点もあります。そこには、時間は無限に小さく刻めるものなのか、という深いテーマが隠されています。
つまり、時間をどんどん分割していくと、最後は素粒子のような最小単位に行き着くのではないか、ということです。
量子力学が何かとぶっ飛んでいることは、これまでにもたびたびお話ししましたが、 じつは時間もそんな量子世界の一員ではないかというわけです。「マクスウェルの悪魔」 が復活して時間が逆戻りしたように、量子世界では時間についても何が起こっても不思議ではありません。

こうして考えてくると、時間の「大きさ」については、「重力」と「量子」という2つのキーワードをもとに考えるほうがよさそうに思えます。
しかし、この2つを一緒に考えるのは、じつは色々と厄介なことなのです。