愛知県美術館に隣接する「オアシス21」/photo by istock

愛知県知事リコール運動で問う、「国民が納得する」血税の使い途

左派が見落とす「公的支出」の意義

国民の理解を得られるのか

夏の暑い最中、高須クリニックの高須克弥院長が精力的に、大村秀章愛知県知事のリコール運動をしている。

高須氏は全身ガンを公表しており、命を削ってまでの行動と言える。「県民が熱中症になる危険性がある」として延期していた署名集めも、いよいよ8月25日の火曜日から始まる予定だ。

その趣旨は、「お辞め下さい 大村秀章愛知県知事 愛知100万人リコールの会」などに書かれているが、大村愛知県知事の公金の使途の疑義である。高須氏の公金の使途の観点は、これまでまったくブレていない。

2019年、トルコ外務大臣と会談した大村知事
 

昨年開催され、物議を醸した「あいちトリエンナーレ」については昨年8月5日(「慰安婦像」への抗議に屈したあいちトリエンナーレ「本当の問題点」)と9月30日(あいちトリエンナーレ報告「公金支出は当然」という前提の奇妙さ)の本コラムで取り上げた。

そこでの主張をまとめると、さまざまな公費支出が民主主義プロセスを経て行われる以上、国民がどのように使われるのか、内容を理解しておく必要があり、公金支出とし国民の納得が得られるか、に尽きる。

左派マスコミは、公費支出を当然というが、芸術とされ展示されていた昭和天皇肖像が燃える映像作品などは、映像を流さない。こうしたものを不快と思う人が国民に多ければ、公費支出が認められなくても当然だ。

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