父の急逝後に突然認知症を発症した母の登志子、そしてしっかり者と思っていたのに、実は認知症になりつつあり、母の実家をゴミ屋敷にしていた伯母の恵子。伯母は独身で、編集者の上松容子さんは従妹と協力して2人のケアをすることになった。

当初同居を反対していた義母も最後とは折れて母とも同居になり、上松さん、義母と母、そして夫と娘との生活が始まる。転んだ後に入院していた伯母の退院後の居場所も探しながら、仕事と育児に加え、自宅での母の「見守り的介護」が続いた。使用済みトイレットペーパーを流さずにトイレの床に積み上げてしまったり、他人の歯ブラシを使ってしまったり、同居して見守る介護の大変さを思い知ることとなった。それでも頑張っている中、母が娘である自分を忘れてしまったことを知って衝撃を受ける。それでも自宅介護を続けてきたが、もはや限界に近づいており、有料老人ホームにお願いする決意をしたのだった。

今回は、有料老人ホームが決定する直前、母に上松さんがリハビリをしてもらおうとしてすべて空回りした体験をお伝えする。名前だけ変えたドキュメント連載。

上松容子さん連載「介護とゴミ屋敷」今までの連載はこちら

空回りしてしまった母への思い

母と恵子伯母の有料老人ホーム入居が決まり、家族はほっと息をついた。けれども、母の気落ちした様子を見るにつけ、なにか悪いことでもしたような気持ちになり、心のなかで言い訳が渦巻いた。
母は常に礼儀正しかった。何か手伝ったり、彼女のためにしてやったことがあれば、どーもありがとー、と平板なイントネーションで礼を言う。間違いや失敗を情け容赦なく指弾されても、どーもありがとー。とりあえず、すべて返事はどーもありがとー。 ゆるゆるの、悲しげな発音。あーりーがーと一。

多くの認知症は、現時点では完治させるのが困難で、進行を遅らせられたら上出来だ。でも進行を遅らせるって、どんなふうに? それはアルツハイマー治療薬かもしれないし、地道なリハビリかもしれない。リハビリには専門知識と、本人や周囲の努力が必要だろう。しかし、この「努力」というヤツが曲者なのである。

私は家で、母にいろいろなことをさせてみた。母は昔から絵を描いていた。クロッキーもさんざんやったし、水彩も大好きだった。だから好きなことをやらせれば、認知度の降下をくいとめられるのではと思ったのだが、うまくいかなかった。リハビリになるだろうと思われる、ぬりえ、ごく簡単な漢詩の書き取りや写経の本、本人が好きだという編み物の道具など、さまざまに用意しても、それを自ら手に取ることはない。やってみようと誘っても、乗ってこない。楽にしていたいとテレビつけっぱなしでごろ寝していた。

元編集者だった母・登志子。ていねいな暮らしをし、アートや文学を好み、おしゃれも好きな女性だった Photo by iStock

また、かつての母は服の色合わせにこだわるおしゃれな女性だった。茄子紺とトキ色など、失敗すれば下品になる色味も、吟味して選び、バランスをとることができた。 その絶妙なバランス感覚がまったく失われていることに気づいたのは、家に呼んでからひと月ほど経ったころだった。