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まさかの食い逃げ…!徳川家康が田舎侍だったころの「恥ずかしい逸話」

それが由来の地名がある

静岡県浜松市中区の「銭取」という地名

地名は、その場所のなりたちを映し出す鏡である。例えば、「新宿」や「原宿」など「宿」がつく場所は、そこがかつての街道筋で、宿場があったことを示している。

他にも、「お茶の水」は2代将軍秀忠公にお茶をたてるための水を献上していたというエピソードが地名として残った。地名を眺めると「ここは、かつてこんな場所であった」というメッセージを、時空を超えて読み取ることができる。

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しかし、後世に残したくない恥ずかしい話が地名として現代まで残ってしまった例もある。静岡県は浜松市にある「銭取」という地名がそうだ。そしてその恥ずかしい人は、天下の大将軍、徳川家康公なのである。

時は戦国時代の中期。織田信長がまだ尾張で頭角を現し始めたころで、家康はまだ、吹けば飛ぶような三河の田舎大名にすぎなかった。

その二人に合戦を仕掛けたのが、当時もっとも天下に近いと目されていた「甲斐の虎」、武田信玄。当然家康は蹴散らされ、人生でただ一度の大惨敗を喫することになる。

さて、恐ろしい武田から命からがら逃げ帰る道中、腹が減った家康は一件の茶屋を見つける。これ幸いと小豆餅を食べたはよいものの、家康は急ぐあまり代金を払わずに店を出てしまった。

しかし、いくら敗走の途中といえども一国の大名。餅ひとつくらい、と思うが、茶屋の老婆はそれを許さなかった。お代はキッチリいただきますよと、逃げる家康を追いかける。

ほうほうの体で城を目指す徳川軍、後ろには鬼気迫る表情の老婆。ユーモラスではあるが、後の天下人らしからぬ威厳のない光景だ。

そして家康が老婆につかまった場所こそが、現在の静岡県浜松市中区「銭取」だ。しかも、老婆の茶屋があった場所も「小豆餅」という地名になって残っている。その2点間の距離、つまり老婆が追いかけた走行距離を測ると、だいたい2kmにもなる。

地名は土地の記憶を残すものだが、家康にとっては消したい記憶だったに違いない。(雑)

『週刊現代』2020年8月22・29日号より