人の身体を成敗する「健康桃太郎侍」とは

こんなに辛いならもう死んでしまいたいと思ったことがある。特にそれは19歳頃、極端な食事制限で30kg痩せたあと、過食症になり太り始めた時のことだ。自分の意に反して肥えていく体への醜さも感じたが、太っていることで他人から悪いジャッジをされることを過去の経験で知っていたからだ。

問答無用で「デブ」「太った?」という否定の言葉を軽々しく投げかける人たちや、火のついたタバコを投げてくる見知らぬ人、体だけを見て「痩せなさい、わからない奴は成敗してやろう」という健康桃太郎侍が、ただでさえ自己嫌悪している私の体と心を言葉の刀でズタズタにしてくることは予想できた。

他人からの「太った?」の再確認が無くても体型の変化は自分で自覚していたし、太った理由として「私、過食症なんです」なんて説明もしたくなかったので、引きこもりがちな生活になった。

「太っているのは不健康、あなたのためにアドバイスを」という人を成敗し快感を得ている人もいる。

太っていることは不健康」という大意の元に、「あなたのためを思って言っている」「これはアドバイス」と言う健康桃太郎侍の人をよく見ると、実は弱い相手を選んで言っている

会議で突然「社長、太り過ぎですよ、痩せてください」だとか、言葉の冷凍ビームを自分よりも目上の立場の人なんかには使わない。なぜなら、それが他人に対してデリカシーの無い言葉だと知っているからだ。

そうして大人たちが弱い他者の容姿や体を貶めて「わからせてやろう」「成敗してやろう」という態度をとることは、いじめのある社会と地続きになっていると私は思う。「大人は言っていいけど、あなたは言っちゃダメ」なんて、子供がすぐに判断できるはずがない。

体型に関しては、特に家族間になると更にひどい物言いになったりするようだし、摂食障害のきっかけを作ったモラハラ気質の元彼も「これはお前のために言ってるんだ」「だからお前はデブなんだ」と私をなじった。健康桃太郎侍の彼にとっては、それはそれは爽快だったと思うが、サルバドール・ダリの絵画の世界観ぐらい、だいぶ歪んだモラハラ男だったと思う。