甲子園で人生が変わった男が、「今年の高校球児たち」に伝えたいこと

動画「炎のベースボール解説」第14回
金村義明による野球解説動画「炎のベースボール解説」の第14回。今から39年前の夏。報徳学園のエース、4番打者として甲子園を制した金村さん。だが、子供の頃から憧れ続けた夢の舞台への道は決して平坦ではなく、何度となく挫折しそうになっていた。そんな彼が、夢を閉ざされてしまった高校球児たちに、いま伝えたいこととは。
 

「中学出たら働け!」と言われながら…

——金村さんは夏の甲子園大会優勝投手ですし、選抜大会では槙原寛己さん(大府高校→巨人)からホームランを打ったりと、名勝負を繰り広げられました。それで注目を浴びて、ドラフト1位でプロ入りしました。ある意味、甲子園によって人生が変わったと言えると思うんですが…。

金村: 確かに、僕の場合は甲子園ありきですからね。

報徳学園は、甲子園に一番近い名門校。自転車ならわずか15分です。でも、近くて遠い甲子園でしたね。

兵庫県西宮市にある甲子園球場。同じ市内の報徳学園からはわずか6kmという近さだ

小学校4年生のときに、報徳学園のユニフォームに憧れて、初めてアルプス席に応援に行きました。

父親は、昨年他界しましたけども、子供の頃は、「中学出たら働け! 野球はするな」と言われてました。でも、僕は甲子園に強く憧れていましたから、中学に上がるときに、「甲子園に出て、阪急ブレーブスに行ってお金を返すから、報徳学園に行かせてくれ」と、これ冗談抜きで1週間続けて泣きながら頼みました。

それでも父親は、夜勤で朝帰ってきたときに、「あかん! おまえは次男だから中学出て働け!」と、ずーっとそれしか言わない。母親は、僕があまりに健気に泣いて頼むもんですから、かわいそうになったんでしょう。ゴルフ場のキャディのバイトと内職に加えて、電電公社の清掃部に働きに出て、中学から私学に入れてくれたんです。

2歳上の兄貴も報徳学園で野球やって入っておりましたから。今考えると、親に苦労をかけたという意味ではおぞましいです。息子2人が6年間私学へ。長女と次女もほぼ私学のような学校へ行ってましたからね。両親は働きづくめで学費を払うような、そういう家庭でした。

母親から「他人の3倍努力するか?」と言われて、「それなら受験させたる」ということで報徳学園に入れていただきました。

当時、兵庫県で甲子園に出ようと思ったら、夏は県予選で7回勝たなきゃならない。春は近畿大会で高成績を収めなきゃ出れない。その前に、140~150名いる部員の中で15人のなかに入らなきゃベンチ入りさえできない。報徳の野球部は、裕福な家庭の子が多かったです。当時、監督を囲む会とかにほとんどの裕福な親は来てましたけど、うちの両親は一度も来たことなかった。働きづくめですから。

僕は5回甲子園に出ようと思って報徳に行ったんですけど、僕の甲子園に対する想いの強さはここから話さないとわかってもらえないんですよね。

今となっては、「おまえ、特待生ちゃうのか!?」とよく言われますが、まったく違います。ちゃんと勉強して、受験して報徳学園に入ってます。