731部隊の元少年兵が激白…「残虐な人体実験が我々の日常だった」

2つの「日常」が重なった少年兵の記憶
現代ビジネス編集部

須永が後で聞いたところによると、一部の少年兵は不必要になった捕虜を直接「処分」させられたらしい。須永らが研究室を破壊している間、施設の一角からずっと黒い煙が上がっていた。少年兵たちが捕虜を殺害し、死体にガソリンをかけて燃やしていたのだった。

その後、須永らは朝鮮を経て日本へと戻った。帰国直後に感じた恐怖について、こう振り返っている。

「なんとか内地に戻ったものの、我々の部隊に所属していた者は『そのうちGHQに捕まって殺されるんじゃないか』という不安が強かったですね。731部隊で非人道的な人体実験を繰り返し、細菌爆弾を開発していたわけですから。でもそのうち、石井四郎部隊長が、実験データと引き換えに隊員を免責するようアメリカと取引したと聞いて、安心しました。率直に、うまくやってくれたなと思いましたね」

 

戦後しばらく沈黙を貫いた須永は、「部隊内で見聞きしたことは話してはならぬと徹底的に教育されていたから、終戦後も731部隊のことは家族にすら話さなかった」と語る。しかし7~8年前から取材に応じるようになった。

「731部隊のことが報道でこれだけ世に知られたので、『もう全てオープンにしてしまったほうがいいだろう』と生きている隊員たちで話し合い、数年前からメディアに出るようになったのです。非人道的な実験によって細菌兵器を研究していたのですから、今考えれば間違ったことだったと思いますよ。でも、当時はそれが当たり前でした」

軍上層部からの教育や環境への適応の結果、彼ら少年兵にとって、非人道的な人体実験は「美味しい水餃子」と同じ「日常生活」となった。異常な環境も戦時には「日常」となりうる。戦後75年を迎えてもなお、われわれは須永の証言から引き出されたこの事実を、見つめ続けなければならない。

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