福田康夫・元首相が明かした「父・赳夫のこと」「公文書管理のこと」

「安倍一強」とは違う、戦後自民党の姿
福田 康夫 プロフィール

本当は日中交渉に積極的だった

井上 福田氏の外交政策についても、かつては岸信介氏との関係から「反共」や「親台湾派」というイメージがありましたが、最近の外交史研究の進展によって、「福田ドクトリン」や「全方位平和外交」といった福田外交のリベラルな側面が明らかになってきています。
  
福田 1972年の総裁選で、田中角栄氏が日中国交正常化を材料に三木武夫氏や中曽根康弘氏を抱き込み、両氏も日中関係の打開を大義名分に、角栄支持でそれぞれの派閥をまとめました。このとき赳夫が日中関係について言及しなかったのは、国内の選挙で、外交上の問題を主張すべきではないと考えたからでしょう。決して日中交渉に消極的だったわけではなく、むしろやりたかった。あの1972年の総裁選で田中氏ではなく、赳夫が勝ったとしても日中国交正常化は実現していたと思います。

ソ連との交渉にも意欲的で、日中平和友好条約の後、できればすぐに対ソ交渉に入りたいと考えていました。日ソ共同宣言を実現した鳩山一郎氏の長男で、大蔵事務次官を経て参議院議員として政界入りしたばかりの鳩山威一郎氏を外務大臣に抜擢したのも、日ソ交渉への意気込みの表れでしょう。

鳩山威一郎氏〔PHOTO〕Gettyimages
 

井上 戦後政治の実像がなかなか見えてこないのは史料の問題があります。福田康夫政権の時に公文書管理法が制定され、近年、公文書管理が大きく注目されるようになりました。しかし、アメリカやイギリスに比べると文書公開の現状はまだ見劣りします。「アーカイバル・ヘゲモニー」という言葉があるように、歴史は史料に依拠して書かれるため、どうしても史料を多く公開している国にとって有利な歴史観が作られます。