〔PHOTO〕iStock

現代のミスコン/ミスターコンを、「ジェンダー論」の専門家はどう考えるか

ルッキズムって、結局何ですか?

上智大学のミスコンテストが大きな変化を遂げるというニュースが注目を集めました。

今年度から「ミス/ミスター」という区別をなくし、「ソフィアンズコンテスト」という性別を区別しない枠組みでのコンテストを開催することになったのです。主催団体のソフィア祭実行委員会コンテスト局は2020年4月1日付で「新企画【ソフィアンズコンテスト】の開催について」という声明を発表し、その後、7月20日にファイナリストがお披露目されました。

ソフィアンズコンテスト(以下ソフィコン)に関する先の声明文には、

「現状のミス・ミスターコンが孕む外見主義的な判断基準という問題や、『ミス=女らしさ』『ミスター=男らしさ』という性の画一的な価値観の押し付けを助長するようなコンテスト名からしても、LGBTQや多様性という観点で批判を受けることは然るべきことであり」

とあります。

この声明からは、ルッキズム(「外見主義」)、「女らしさ/男らしさ」という「性の画一的な価値観の押し付け」、「LGBTQや多様性という観点」という3つの論点を、運営側が意識していることがわかります。

ミス/ミスターの枠をなくすという今回の制度改革は、ジェンダー論の観点からどのように捉えることができるのでしょうか。ここでは、上記の3つの論点をめぐって考えていこうと思います。

 

ルッキズムとは何か

ミスコンが批判される際、最も頻繁に用いられる言葉の一つに「ルッキズム(外見主義)」があります。日本では「人を外見で判断すること」という意味で「ルッキズム」という言葉が使われているのをよく見かけます。「人を外見だけで判断するのはよくない」、「第一印象やステレオタイプで人を決めつけるのはよくない」といった、よくある道徳感覚が「ルッキズム」というカタカナ語を下支えていると考えられます。

しかし、「ルッキズム」という語をこの意味で使うならば、あらゆることがルッキズムになってしまいます。日々、肌の調子を気にしたり、ファッションを試行錯誤したり、コスメ研究に専心したりといった「外見を磨く」すべての行動を「ルッキズム」の観点から批判的に捉えなければならないでしょう。この意味での「ルッキズム」は、もはや現実を分析するための有効な概念とはいえません。