妊娠や加害者からの脅迫、そして社会の目

それでも、生理はこなかった。

相手に恐る恐る言ってみると、「気にしすぎると想像妊娠と言って生理が遅くなることがある。こっちも迷惑するから気にするのはやめろ」と激しく怒鳴られた。

それでも生理は来ない。もう一度相手に伝えた。だったら検査してみろ、と言われ、薬局で妊娠検査薬を購入し、ファミリーレストランのトイレで一人震える手で検査した。このときのことは、忘れたいのに鮮明に頭に今も蘇る。結果は、陰性だった。それを相手に伝えると、「そうか、そしたら今日もこのままホテル行けるな」と言った……。私は絶望し、このとき心が死ぬのを感じた。

それから数日、よほどのストレスだったのだろう、私は学校から帰宅途中、初めてのパニック発作を起こし倒れ、保健室へ運ばれた。そこで初めて、今までの一部始終をカウンセラーさんに伝えることができた。その途端、生理がきたのだ。きっと自分の心は想像以上に張り詰めていて、話せたことで安心したのだと思う。保健室の先生は、喜んで一緒に泣いてくれた。それからはたびたび公的機関への相談を促された。

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それでも、最初はなかなか公的な機関に相談する気にはなれなかった。もしも、相談したことがバレたり警察が手を加えるようなことがあれば、加害者に今後何をされるかわからない恐怖があった。また、学校に通えなくなるかも、大学進学ができないかも……といった日常が壊れてしまう恐怖などもあった。

しかしそれだけでなく、病院での対応もトラウマになっていた。その後低用量ピルを服用するようになったが、そこでも、低用量ピルを服用しようとする女子高生に対し、寄り添ってくれるというよりも、対応はいつも「最近のどうしようもないモンダイがある高校生」という視線を浴びているような感じだったからだ。

だから、警察に話しても、どうせ私が責められるに決まっている。口がうまく迫力もある加害者に言いくるめられて終わってしまう、そうしたら加害者からどんな復讐をされるかわからない……、という恐怖に目の前に真っ暗になるばかりだった。

病院での診察という私が唯一接した公の機関における対応を通じて私は、「誰も助けてはくれない」、そう内面化してしまったのかもしれない。だから、当時私には助けを求められるなんていう希望はなくて、とにかくその日々を生き延びて、なんとか受験を成功させ、加害者から離れ「普通」の社会に戻りたい、その一心だった。

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その後、その加害者である教師との関係は断てたが、私は今も、PTSDに苦しんでいる。最近のPTSDの研究では、早期の治療ほど完治の確率も高く回復が早いとされており、スピードが勝負だ。でも私の場合、自分に起こったことが性暴力で、自分の生きにくさの多くはPTSDによるものと気付くまで、そして、助けを求められるようになるまでに、あまりに多くの時間がかかってしまった。

結果として、相手は自分がしたことの問題性の大きさも加害としての自覚もあるかは、定かではない。それなのに、私はこれからも数年は治療に時間とお金を取られながら、パニック発作や感情の麻痺、解離といったPTSDに苦しめられるに違いない。常に様々なスティグマの内面化との戦いになるのだと思う。