自粛警察はなぜ生まれた?コロナ禍が浮き彫りにした「世間」の正体

日本人を苦しめる「同調圧力」とは
鴻上 尚史, 佐藤 直樹 プロフィール

内輪ノリで運用されるSNS

鴻上 コロナ禍で差別や排除の風景が可視化されたのも、やはりネットのせいでしょう。僕はコロナ前から、ネットによって僕たちは自意識を過剰に拡大させてしまったと思っています。

幼いころから、「いいね!」の数やリツイートの数を気にせざるをえなくなり、自分がどう評価されているかということに関してすごく敏感になってしまった。僕らが子どものころは、テレビに出るとか新聞に取り上げられることはものすごくハードルが高かったんだけど、今はもう簡単に、誰もが発信できるわけです。

何を食ったか、誰と会ったか、何を見たか、それに対する反応を見て、自分自身への評価にしてしまう。自己肯定感とか自己承認というのは終わりがないから、欲求はどんどん肥大します。ところが、簡単に発信できるネットの世界でも、知識を誇ろうとしても、もっと詳しい人はいるし、すごい旅行をしたといっても、もっといろいろなところに行っている人はいて、批判されたり否定されたりする。

おまえの体験とかウンチクはたいしたものじゃないと。すると、絶対に否定されない言葉を言うようになる。それは「正義の言葉」です。未成年の飲酒の写真とかには、堂々と文句を言っても否定されない。「正義の言葉」をかざして、差別と排除に染まっていく。簡単に「自粛警察」にたどり着くと思います。

佐藤 そこに行き着く回路に個人、インディビジュアルは存在しないんですね。より強いもの、より勢いのあるものに乗っかるだけ。これもまた自己保身のための忖度でもあります。だいたい「社会」が見えていないのですから。

あれ、何でしたっけ? アルバイトが店の冷蔵庫に頭を突っ込んだり、飲食店でお客さんに提供する食材をおもちゃにしたり、といった、ツイッターに不適切な画像をアップするという……。

鴻上 バカッターですね。

佐藤 そう、それ。「社会」という視点からいえば、本来ならば違法な犯罪に等しい行為です。でも彼らがそれを平気でやっちゃうのは、ネットが「社会」につながっているという意識がないから。「世間」の仲間ウチに向けたノリ。つまり内輪の芸です。

 

KKKが白頭巾を被るワケ

鴻上 徐々にネットと現実社会の境界を飛び越える人が増えるでしょう。ネットの言語に慣れてきますからね。たとえば飲み屋などでとても文字化できないようなヘイトスピーチを口にする人がいるじゃないですか。「〇〇人は出ていけ」とか。

こうした人たちは、やはり、自分が持っている「世間」しか意識していないというか、外側に「社会」があることを分かっていない。白人至上主義の秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)みたいなのは何で白頭巾で顔を隠すかというと、あれは外側に社会がちゃんとあることを知っているからなんです。

匿名性の高いKKKの装束(photo by iStock)

白人至上主義の主張を、顔を出して堂々と言えるようなものでないことくらいは理解している。黒人を殺せとか吊るせとか、それは内輪でしか通用しないことが分かっている。でも、言わずにはいられないから、顔を隠して訴えるわけです。

海外の極右のデモは「社会」を意識した緊張感があります。でも、日本の飲み屋などで、あるいは街頭でもそうなんだけれど、特定の民族や人種に向けて「死ね」などと、割と普通に聞こえる距離で言っているのは、その人の脳内に「社会」が存在していないからだと思いますね。意識すらしていないかもしれない。

2013年でしたか、大阪の鶴橋で在日コリアンを「虐殺する」と街宣した少女がいたじゃないですか。彼女もまた自分の「世間」のなかで生きてきたから、リアルな場所ででもあれだけの言葉を叫ぶことができたと思うんです。本当は彼女にも外側に「社会」があるのだと伝えたい。

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