伝統ある早稲田大学野球部(1916年、photo by gettyimages)

タモリの無名時代と早稲田「紺碧の空」の意外な接点

朝ドラ『エール』外伝
新型コロナの影響で、現在副音声つきで再放送中のNHK連続テレビ小説『エール』。昭和の大作曲家・古関裕而の生涯を描くドラマは、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」誕生のエピソードに差し掛かっている。

実は、早大を象徴する応援歌の誕生と、早大を中退し九州に帰郷していたタモリの無名時代には意外な接点があるという。『タモリと戦後ニッポン』の著者・近藤正高氏が解説する。

副音声つきで再放送中の朝ドラ『エール』

NHKの連続テレビ小説『エール』は、新型コロナウイルス感染拡大の影響による撮影中断にともない、6月27日をもって放送が一時休止となった。

以来、これまで放送された回が出演者による副音声つきで再放送されている。先週土曜(8月8日)からは第8週「紺碧の空」が放送中で、今週木曜(13日)まで続く予定だ。

サブタイトルとなった「紺碧の空」とは、早稲田大学の応援歌で、ドラマでは主人公の作曲家・古山裕一(演じるのは窪田正孝)が駆け出しのころに手がけたものとして描かれた。

このころ、裕一は大手レコード会社のコロンブスレコードと専属契約を結びながら、まだ1曲もレコードを出せていなかった。もともとクラシック音楽志望の彼は、曲を書いても独りよがりになりがちで、プロデューサーにずっと採用されずにいたのだ。

そんな裕一の自宅にある日、早稲田大学の応援団が押しかけてきて、応援歌を依頼する。

 

ライバル・慶応に対抗するために

当時、東京六大学野球のリーグ戦で、早稲田は宿敵・慶應義塾に対し負け続けていた。

慶應が強いのは、試合中、球場の慶應側スタンドで歌われる応援歌「若き血」(堀内敬三作詞・作曲)に選手たちが鼓舞されるからだと、応援団長の田中隆(演:三浦貴大)は考えた。

すでに早稲田にもいくつか応援歌はあったが、小山田耕三(演:志村けん)など大御所作曲家がつくったもので、学生には古くさく感じられた。そこで若い作曲家に頼んで、「若き血」に負けないものを……ということになったのである。

なお、裕一に白羽の矢が立ったのは、応援団員の佐藤幸太郎(演:斎藤嘉樹)のいとこが、たまたま裕一の郷里・福島の幼馴染・佐藤久志(演:山崎育三郎)で、そのツテを頼ってのことであった。久志はこのとき、裕一の新妻・音(演:二階堂ふみ)と同じく東京の音楽学校の声楽科に在学中だった。

昭和の大作曲家・古関裕而

『エール』の裕一のモデルは、多くのヒット曲を残した昭和の大作曲家・古関裕而(1909~89)である。

「紺碧の空」は、古関がコロムビアレコードの専属作曲家になった翌年、1931年に手がけたものだ。この依頼を引き受けるまでの経緯も、ドラマはおおむねなぞっている

早稲田の応援団の伊藤戊(しげる)という団員のいとこに、のちに歌手となる伊藤久男(本名は四三男)がいた。

伊藤は古関の妻・金子と同じ帝国音楽学校に通い、下宿も夫妻宅の近所で、しかも古関と同じ福島出身とあって親しくなり、お互いに家をよく行き来していた。古関によれば、ある日伊藤の下宿で戊と会い、応援歌を頼まれたという(『鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝』集英社文庫)。

先述のとおり、ライバル・慶應はすでに1927年より「若き血」を採用しており、そのおかげもあってか翌年からの数年間、同大学野球部は全盛期を迎えていた。

早大野球部はその牙城に肉薄しながらも、1929年の秋季リーグ戦で勝ったあとは、2シーズン連続で慶應にストレート負けを喫していた。「若き血」に対抗すべく新しい応援歌をという声があがるのも当然だったといえる。