的場昭弘氏が著した『未来のプルードン資本主義もマルクス主義も超えて』は、プルードンの思想をライバルであるマルクスと比較して論じた知的刺激に富む作品だ。
日本では、一昔前までマルクス主義の影響が強かった。プルードンの主著『経済的諸矛盾の体系、あるいは貧困の哲学』(1846年)をマルクスが1847年に上梓した『貧困の哲学』で徹底的に批判した。
このことによってプルードン主義は過去のものになったというのが、マルクス主義者の通説的見解だった。的場昭弘氏は、マルクス研究の第一人者で、ドイツ語、フランス語も堪能だ。的場氏は、プルードンの作品をよく読み込んだ上で、こんな評価をする。
〈宿命のライバルという言葉がある。お互いに意識することで、お互いを高めあう関係のことだ。どちらが優位に立つかということよりも、二人のライバルが結果的に高いところまで上りつめることに意味がある。
マルクス(一八一八-一八八三)から見て、宿命のライバルとは誰のことだろう。私は、マルクスを読みはじめた頃から、彼のライバルはプルードンだったのではないかと、考えてきた。
しかし、プルードン(一八〇九-一八六五)は、彼より一〇歳近く年上であり、とりわけマルクスをライバルだと思っていた様子はない。マルクスへの言及はわずかな時期に限られるからだ。
しかし、マルクスの側ではそうではない。マルクスが社会主義、共産主義に興味をもった頃から、死ぬまで、いや死後もマルクス主義となった彼の後継者たちが、ことあるごとにプルードンに言及した〉。
マルクスはプルードンを強く意識していたが、プルードンはマルクスをほとんど相手にしていなかったというのが実態のようだ。
マルクスの死後もプルードンの思想は影響を持ち続けた。それは、プルードンが唱えたアソシアシオンという思想によるところが大きい。