コロナ自粛は「不寛容な戦前」の再来…ファシズム化する日本の末路

「自由を守る闘い」を始める時がきた
井手 英策 プロフィール

ファシズム国家化する日本の未来

いまの日本はどうか。勤労者世帯のくらしは劣化を続けている。収入のピークは1997年、いまから23年前だ。年収300万円以下の世帯割合は、1989年とほぼ同じ水準まで増加した。非正規雇用者は全体の4割に迫り、若者の非正規割合も高止まりしている。

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金融庁の2000万円問題が老後の不安を白日のもとにさらし、高齢者は孤独死の恐怖にふるえている。政府への信頼はもともと先進国で最低レベルだが、さらに自民党の政治腐敗、左派野党の離合集散がこれに拍車をかけている。また、地域包括ケアや子ども食堂など、国民の命は政府の責任領域から離れ、地域の協働や中間団体に投げだされつつある。現代の日本は、ファシズム国家の特徴をみごとに押さえている。

そう、コロナ禍で観察された、日本のあやうさを象徴するできごとは、社会の足元がゆらぐなかで起きたのだった。権利よりも義務が優先され、全体の価値に服しない人たちには有形無形の圧力がくわえられる社会。民度の高低を語っている場合ではない。

いま、僕たちは歴史の分岐点にいる。新型コロナウィルスは日本社会の問題を「可視化」した。だが、見えるようになったということは、以前から問題が存在しており、これを放置していた怠慢の裏返しでもある。

かつてのような経済成長が望めないなか、中間層の生活不安をどう解消するのか。公的な責任とコミュニティの協働のバランスをどうやって取り、一人ひとりの生きづらさを解消していくのか。個人の権利をみとめ、人間の自由を保障し、そして自立した人びとが連帯を求める社会はいつになったら実現するのか…。

僕は『欲望の経済を終わらせる』のなかで、これらの問いにたいする回答を示した。時間はもうない。縮減する世紀のビジョン論争をすぐにはじめよう。それは、知的遊戯ではない。僕たちの自由を守るための闘いである。

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