コロナ自粛は「不寛容な戦前」の再来…ファシズム化する日本の末路

「自由を守る闘い」を始める時がきた
井手 英策 プロフィール

企業に休業や時短営業を要請するのはいい。しかし、営業する自由を制約するのなら、その損失を補償するのは当然のことだ。権利を侵害したことにたいする補償はないのに、休業だけは社会的に強いられる。いまの日本では、「異端」は認められず、個人の権利は公共の福祉に回収され、当たり前のように営業や移動の自由が侵害されている。

100年前の「不寛容」な戦前社会

「いつか来た道」といえばいいのか、この既視感はなんだろう。時計の針をもどしてみよう。いまから100年ほど昔の話だ。大正デモクラシー期の日本で、「社会連帯」という言葉が広がりを見せていた(冨江直子『救貧のなかの日本近代』)。

これは、貧困にたいして、社会が連帯して責任をもつという意味だ。だが気をつけよう。前提にあるのは「国民の義務」だ。個人は、社会に奉仕する義務を負う。その義務を果たした責任ある個人のみ、社会は連帯して命を助ける。自由な個人の相互関係ではなく、社会と個人の双方向の義務・責任として「連帯」が語られたのだ。

考えてみてほしい。たしかに、いま僕たちは、「連帯」してコロナに立ち向かっている。だが、自粛は、僕たちが果たすべき「国民の義務」として語られていないか。個人の権利より社会への責任が優先され、これに従わなかった人たちは、まるで非国民と言わんばかりのあつかいを受けていないか。もしそうなら、戦前の「連帯」となにがちがうのか。

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社会連帯が語られた時代から10年ほどが過ぎた1930~40年代、日本にはファシズムの嵐が吹きあれた。社会への献身は国民の義務と見なされた。自由は破壊され、個人は全体が求める価値へと吸収され、異議申し立てをする権利も否定された。

これは「過去の記憶」なのだろうか。

ファシズム国家にはいくつかの特徴がある。世界大恐慌が中間層の暮らしを直撃し、人びとは転落の恐怖におびえていた。失業者や若者、退役軍人、多くの人たちが社会的な居場所を失っていた。政争を繰りかえす政府への不信は頂点に達し、国民は自分たちの暮らしをボランティア組織や協同組合のような団体に依存させていた。

そして、頼る先をなくしたこれらの人たちこそがファシズム運動の担い手となっていった。

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