言葉など
いらないとして
くちづけを
する瞬間は
誰しも黙る

こんにちは。歌人の鈴掛真です。5・7・5・7・7の短歌の作家です。

5月にTwitterで大きな話題となった「#検察庁法改正案に抗議します」を皮切りに、新型コロナウイルス被害の保証からGo Toキャンペーンまで、今、社会に対する不満を発信したい、議論したいという意欲が日本中で高まっているのを感じます。
政治や社会問題への関心が高まり、個々人が声を上げやすくなっているのは、とても良い風潮だと思います。

しかし、SNSで日々盛り上がりを見せる様々なトレンドワードを追っていると、他人の言葉に振り回されてストレスを溜め込んでしまっている人が多いようにも見受けられます。
みなさんも身に覚えはありませんか?

まずは先日話題になった「ポテサラ論争」を例に見てみましょう。

ポテサラおじさんに信念はあったか

先日、とある女性のツイートが、日本中を巻き込む大騒動へと発展しました。

“「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。
私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら。”

このつぶやきによって、「ポテサラがどれだけ手間のかかる料理か知らないのか!」と、女性たちの怒りが爆発。
13万人がリツイート、テレビのワイドショーも取り上げるほど大きな注目を集めました。

スーパーで起きたことは多くの人が他人事とは思えなかった Photo by iStock

僕は主婦のみなさんが惣菜を利用することに大賛成です。
働きながら子育てしている女性も多い中で、主婦が必ず手料理をしているなんて男の幻想もいいところだし、誰かに強要されることではありません。
事実、家事の負担を軽視している男性は多く、こうした議論によって男性たちの意識が変わったり、女性たちが励まされたりすることがあるとすれば、社会が変わる良いきっかけだったと思います。

しかしその反面、こうした議論によって「ポテサラおじさんが改心するか」という点で、僕には疑問が残ります。
そもそも、「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」という発言が、信念に基づくものであったとは到底思えないからです。

まず、スーパーで出くわした見ず知らずの女性に「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」などと暴言を吐けるなんて、まともな議論が通じる人ではないことは確かです。
そして、表面的な言葉だけに着目すれば「家事の負担を軽視した女性蔑視」と読み取れますが、世の中には、誰でも良いから弱者を攻撃して自尊心を満たしたい人がいます
ポテサラおじさんにとって文句を言う相手は、主婦でも、若者でも、子どもでも、誰でも良かったのではないかと僕は想像しました。