「黒人は何を歌ってきたのか」が差別的質問になりうるワケ

「黒人の歌」のイメージからの脱却
ウェルズ 恵子 プロフィール

南北戦争中の1862年になって、北東部の白人の知識人で奴隷解放論者たちが、北軍が解放したサウスカロライナなど南部の限られた地域に入り、地域限定的に解放された元奴隷たちから、歌(民謡)を収集した。録音機材のない時代に、音階もリズムも発声法も言語も大いに異なるそれらの歌を、紙上に記録するのは容易ではなかった。

また、黒人側も白人に対して強い警戒感をもっていたことは疑いない。19世紀半ばに北部の白人が集めて記録した黒人歌には、反抗的な思想や性的な表現は全く含まれていない。記録で継承された歌には、すでに時代のバイアスがかかっていた。

 

黒人霊歌はこうして生まれた

奴隷解放直後の黒人音楽で有名なのは黒人霊歌である。

1865年に南北戦争が北軍の勝利に終わり、黒人たちは奴隷の身分からは解放された。早くも南北戦争終結のその年にテネシー州ナッシュビルに黒人学校が設立され、2年後の1867年には、フィスク大学として有色人の高等教育を担うことになる。

しかし、この大学は厳しい資金難に苦しんでいて、それを打開するために始まったのが、フィスク・ジュビリー・シンガーズと呼ばれた合唱団の公演活動だった。音楽監督だったジョージ・ホワイトが、黒人学生の歌声で資金集めができると思ったのだ。

合唱団は最初、白人の愛唱歌をレパートリーとしていた。北部へのツアーが始まったのは、1871年10月。当時、黒人に芸術活動ができると思っていた白人はいなかったので、その歌唱は驚きをもって迎えられた。

しかしフィスク・ジュビリー・シンガーズの名を不滅にしたのは、合唱団の白人歌レパートリーではなく、奴隷制下で歌われていた黒人のキリスト教歌を編曲した歌の歌唱だった。これが「黒人霊歌」というジャンルに成長する。 “Swing Low, Sweet Chariot”や “Go Down, Moses”などが含まれる。

20世紀になると、黒人霊歌は黒人の尊厳あるイメージ作りに活用・利用されていくことになる。これについては次回の話題としたい。

関連記事