2年間の不妊治療で授かった命

佐野さんが果歩ちゃんに「ターナー症候群」があると知らされたのは、まだお腹のふくらみも目立たない、妊娠19週の時だった。

佐野さんは、果歩ちゃんを2年間に及ぶ不妊治療で授かった。
「若いときは子どもを持つことに関心がなかった」と言う佐野さんだが、40歳になった時、ふと「子どもを持つのはどうだろう」と思いたった。

「40歳という年齢を、人生の区切りだと感じたのです。60歳までのの20年間、何かそれまでとは違うチャレンジをしてみたかった」
年齢的に「もう無理かな」と思ったが、新しい目標を見つけた喜びを感じた佐野さんは、ともかくやってみることにした。

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まずは、自己流の冷え防止やタイミングを見計らう妊活に励んだ。しかし授からないので不妊治療を始めたが、それは、予想よりはるかに大変な事だった。
治療開始1年後から体外受精に進み、一度は妊娠反応が出てとても嬉しかったのに、それも流産になってしまった。つらくていったんは治療をやめる決心をしたが、やはりあきらめられず、子宮にカテーテル(細い管)で精子を送り届けるだけの人工授精を細々と続けてみたところ、それが妊娠に結びついた。それも「人工授精も、これで最後にしよう」と決めていた、その最後の1回での妊娠だった。

佐野さんは「また流産になるかも」という不安から喜びの感情を抑制していたが、超音波検査でまず「胎嚢(胎児が入っている袋)」が見え、次の健診でトクトクと心臓が打っているのを見たりするとさすがに嬉しかった。

ただ、佐野さんは、妊娠が成立したことを夫以外の誰にも言わなかった。理由は、ふたつあった。流産の不安、そしてもうひとつの理由は、ダウン症の出生前診断として新型出生前診断(NIPT)を受けようと妊娠の前から決めていたからだった。

当時佐野さんはすでに43歳で、その年齢では胎児にダウン症がある確率は約50人に1人程度と高い。佐野さんは新型出生前診断を受け、そこでダウン症が疑われて診断が確定したら、出産をあきらめることを考えていた。

「障害のある子どもを育てていく自信がなかったんです。私はもう子どもを産めないでしょうから子どもは一人っ子になりますし、親が死んだ後、その子はどうなるのでしょう」

佐野さんはそう思っていて、新型出生前診断で陰性をもらうまでは妊娠を隠し通すことにした。