地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。
"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。
1890年のこの日、「早稲田式テレビジョン」の生みの親として知られる工学者の川原田政太郎(かわはらだ・まさたろう)が富山県魚津市に生まれました。
彼は明治44年に早稲田大学理工科に入学し、卒業後しばらくして同大学の助教授になりました。
彼はイギリスのマンチェスター工科大学やフランスのソルボンヌ大学へ留学をした際に現地で行われていた初期のテレビジョン研究に興味を抱き、帰国後に山本忠輿(やまもと・ただおき)博士の下でテレビジョン研究に打ち込みました。
当時テレビジョンの実用化は困難とされていましたが、川原田と山本はNHKなどの援助を受けつつ、見事に早稲田式テレビジョンを完成させました。
早稲田式テレビジョンは高柳健次郎の開発したブラウン管式に比べて大画面への投映が可能な点で優れており、この時開発されたものは1mを超える大型の画面を持っていました。
川原田は電気時計研究の第一人者としても知られており、地球儀式世界時計や真空電磁時計など誤差の少ない正確な新型時計を次々と開発しました。
また、彼の業績は工学に限らず、農学の分野でもサツマイモの腐敗を防ぐ技術を開発し、戦後の食糧不足改善に一役買っています。
ちなみに、川原田政太郎は「八木・宇田アンテナ」の開発者である宇田新太郎、アブラナ属・イネ属の遺伝研究で知られる盛永俊太郎とともに「魚津の三太郎」と呼ばれています。
同じ出身地に素晴らしい業績を持った「太郎」が3人もいるのはなんだか不思議な気がします。