8月5日 数学者ニールス・アーベル誕生(1802年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1802年のこの日、数学者のニールス・アーベル(Niels Henrik Abel、1802-1829)がノルウェーのフィノイに生まれました。

 

彼は首都クリスティアニア(現在のオスロ)の学校で数学者のマイケル・ホルンボエに師事し、数学を学びました。

ニールス・アーベル(Niels Henrik Abel) photo by Getty Images

在学中に父を亡くしたため貧困に喘ぎながらも1823年にクリスティアニア大学を卒業し、翌年に『一般の五次方程式が解けないことを証明した代数方程式に関する論文』を出版しました。

この論文は「次数が与えられた方程式の中で代数的に解けるものを発見すること」「与えられた方程式が代数的に解けるか定めること」の2点について述べたものでしたが、当時権威的な数学者であったガウスがこの論文を無視したため、当時はほとんど評価されませんでした。

その後アーベルはヨーロッパ各地を周遊しながら数学の研究を続け、代数関数の積分理論などを発表しましたがこちらも正しく評価されず、やむなくノルウェーへと戻りました。

母国へ戻った彼は、家庭教師などで生計を立てつつ数学の研究に没頭しました。

そして1829年、のちに「アーベル積分」と呼ばれる代数関数の積分についての論文が数学雑誌『ククレ』発表され、その業績からベルリン大学の教授任命が決まりましす。

しかし、論文の発表時点で病床にあった彼はその報告を見ることなく白血病で夭折しました。

翌年、ようやく彼の業績は認められフランス科学アカデミー賞を死後受賞します。

彼の人生は26年で閉じてしまいましたが、その中で多くの業績を残しました。その多くは生前に評価されることはありませんでしたが、今でも数学ではアーベル群やアーベル積分など彼の名を冠した用語が多数用いられています。