# 新型コロナウイルス

薬か毒か?「ベーシックインカム」待望論が抱える“残酷”なリスク

導入すれば「犠牲」になる人も
鷲尾 香一 プロフィール

BIによって犠牲になる人もいる

従って、玉木代表の掲げるBIは、「生活に最低限必要な現金の支給」ではなく、あくまでも「生活費の補助金」的な役割ということになり、BIではないということになる。

問題は玉木代表が主張しているように、他の社会保障制度や減税政策を整理統合することの“良し悪し”だろう。ネットでの意見にもあったように、「BIは他の(年金や健康保険制度など)社会保障を犠牲にするため、結果的に国民負担が増える」との危惧を抱くのも致し方ない。

BIではないにしろ、「十分な生活費の補助となるような“BIもどき”の制度」を作ろうとすれば、現在の社会保障制度を大きく見直す必要がある。となれば、見直しの犠牲になる人も少なからず出てくることは覚悟せざるを得ないだろう。

果たして、BIにしろBIもどきにしろ、こうした犠牲を払ってまでどう導入する必要があるのだろうか。

 

数年前にBI議論が盛り上がったことがある。この時のきっかけはAI(人工知能)とロボット化だった。AIの進化とロボットの進化が、やがて多くの人間の仕事を奪うことになるという見方が“一世を風靡”した。

この時に仕事のなくなった“人間”を救う手立てとして俎上に上がったのがBIだった。人間が働くことのなくなった未来で、BIという制度が所得を得るための代替手段となると予想されたのだ。

しかし、現実には国民全員が同額の現金支給を受けることで同水準の生活が営めるわけではない。そこには、人間の仕事があり、所得格差や貧富の差もある。従って、BIは「生活困窮者、貧困層に対する“セーフティネット”としての役割」として議論されているに過ぎない。